銀月夜



こんなにロマンチックな夜ってあるかしら。
鬼太郎と親父さんとあたしと三人だけで、静かな浜辺を歩いている。
聞こえてくるのは、不規則な波のさざめきと、規則的な鬼太郎の足音だけ。
いつものからんころんという軽快な音じゃなくて、白砂に深く歯を沈めて、ぎゅっ、ぎゅっと重そうな音を立ててる。
その音が不思議で楽しくて、少し後を歩きながら鬼太郎の足元ばかりを見ていた。
砂浜を下駄で歩くのは大変だろうに、砂に歯を取られたり躓いたりすることもなく、同じ歩幅、同じ速度で歩き続ける。
こうして鬼太郎の少し後ろを同じ速度で歩いている時は、あたしにとって幸せな時間なんだ。

鬼太郎の踏んだ跡の通りに歩きたくて、前を行く下駄が砂浜に刻んだばかりの足跡を、自分の足で辿って歩く。
あたしより歩幅が広いから、合わせるのは結構難しいのよね。
夢中で足跡を辿っているうちに、ふと気付くと、白い砂浜の上に鬼太郎とあたしの影が薄く伸びてた。
さっきまでは闇が濃くて、こんな影はなかったのに。

光の射す方を見上げると、いつの間にか海の上に、銀色の月が浮かんでる。
満月が少し欠けた形の居待ち月。
月の兎もはっきりわかるくらいに澄んで、清らかな光が優しく照らしてる。

きれいだなぁ。
月の光って神秘的でやわらかくてロマンチックで、大好き。
でも、それ以上にステキなのは、海の水面!
月の真下の水平線から波打ち際まで、あたしたちに向かって月の光を映した波が一本の道を作ってるんだもん。
こんなきれいな景色、初めて見た。

ゆらゆら、きらきら揺れる細波が光を弾いて、まるで星みたい。
あの光に触ってみたい!
手で掬ったら、どんな感じかしら。少しくらい、本物の星が混じっているかもしれない。
ううん、もしかしたら、星を敷き詰めた月への道かもしれない!

そう思ったら、もう居ても立ってもいられなくて、思わず波打ち際まで走り出した。
靴を脱いで、冷たい海に足を浸す。
膝の深さまで進んで、きらきら光る細波を掬ってみたけれど、手に掬った途端、波も光も消えてしまう。
何度やっても、光の欠片を掬うことは出来ない。

よし、それならこの光の上を歩いてみたらどうかしら。
光の欠片が刺さって痛いかもしれないから、念のために靴を持って、波が寄せたらタイミングを合わせてぴょんと飛び乗って…。
ああ、失敗。じゃあ、引く波を追いかけて、その勢いでぴょんと…。
やっぱりダメか。よーし、もう一度!
…と思ったとき、後ろから声が掛かった。
「猫娘。」

いつもの静かな鬼太郎の声。
とくん、と心臓が高鳴った。
ほとんど条件反射みたいに振り向くと、ゆっくりこっちに近づいてくる姿が目に入った。
いけない、すっかり月明かりに夢中になっちゃってた。

あたしって、いつもこうなんだよね。
つい余計なことに気を取られて、すぐに勝手に脱線して…。
鬼太郎、怒っちゃったかな。
でも鬼太郎の顔を見れば、その目は優しくて口元には笑みすら浮かべてる。
よかった。怒ってはいないみたい。
「ねえ、見て、鬼太郎。海に月の道が出来てるの。銀色に光ってすごく綺麗。」
あたしが指し示した月の道を見て、鬼太郎は感心したように頷いた。
「なるほどね。」
よかった。あたしが寄り道した訳をわかってくれたみたい。
「ねっ。星が敷き詰められてるみたいでしょ。」
嬉しくて、ついつい、また波を追いかけて走り出しちゃった。でも楽しくて、止められない!
何度か挑戦したけど上手くいかなくて、だんだん息が切れてきた。

「どうかして、あの月の道を歩けないかと思うんだけど、やっぱりダメねぇ。沈んじゃう。」
打ち寄せる波から上がって、はしゃぎすぎてしまった言い訳にそう言うと、鬼太郎ったらいきなり笑い出した。
「そりゃ無理だよ。光が水面に映ってるだけなんだから。」
もう、そんなことはわかってるけど、もしかしたらって思っただけなのに。そんなに笑うことないじゃない!
「でもさ、この光は月までまっすぐ続いているんだよ。もしかしたら、あたしたちの知らない道かもしれないじゃない。人間には見えないけどあたしたちだけが知ってる、地獄や霊界への道があるみたいにさ。」
鬼太郎だって、色んな不思議な道を知ってるはずだわ。それなのにあたしの話なんて頭から本気にしないんだから、失礼しちゃう。
そう思っていたら、目玉の親父さんが助け舟を出してくれた。
「うむ。ありえん話じゃないぞ。時間、空間、あらゆる偶然が重なったときにだけ、通ることができる道もあるからのう。一度見つけた道が、二度と見つからないこともある。気になった道は辿ってみたらいいんじゃ。無闇に深入りするのは危険じゃがな。」
「うわー、ホント? 親父さんが言うんだもん、間違いないわよねぇ。」
さすが、親父さん。話がわかるわ。親父さんはいつも、ちゃんとあたしの話を聞いてくれるんだもん。

いつか通れる道かもしれない。そう思って改めて、月の道を見てみた。
やっぱりきれい。波が本当に穏やかだから、こんなにはっきり映っているのね。
残念ながら、今はあたしには通ることの出来ない道だけど。
でも、こんな景色を鬼太郎と一緒に見られるだけでも嬉しい。
なんて幸せな時間かしら。ずーっとこうしていたいなぁ。

ぼんやりと海に見惚れていたら、近くの道を車が一台通り抜け、強いヘッドライトの光があたしたちを襲った。
もう、せっかくのロマンチックな気分がぶち壊し。
しかも、それを見た鬼太郎が急に現実に戻っちゃった。
「さあ、もう行こう。早めに山に入ったほうがよさそうだ。」
ああ、もっと眺めていたかった。でも、あんまりのんびりしていると、朝までに山を越えられないもんね。
山のほうへ向き直った鬼太郎に遅れないように、「うん」と返事して歩き始めた。
靴を履くと砂が入って嫌だから、このまま裸足で行こう。

こんな素敵な夜の散歩が出来るなんて、思ってもいなかった。
妖怪退治が終わったら、いつもみたいにカラスヘリコプターで帰るんだと思ってた。
鬼太郎が、夜通し歩いて帰りたいって言い出した時にはちょっと驚いたけど、でも歩いて行けばその分長く一緒にいられるし、カラスヘリコプターに乗るよりも、近くでたくさんお話も出来る。
だからあたしも心の中では大賛成だったんだ。

それにしても、どうして歩いて帰るなんて言い出したんだろう。
この町の海が、すごくきれいだからかな。
今日の妖怪騒動が、戦いもなく妖怪と人間たちとの話し合いで解決できて、気分もよかったし、体も疲れなかったからかもしれないね。
鬼太郎、妖怪からも人間からもいっぱい感謝されて、みんな笑顔で。本当に、いい日だった。
いつもこんな風に、鬼太郎の想いが報われたらいいなぁ。
いい雰囲気だったから、もっとゆっくりして行くかと思ってたのに、地元の人たちが泊まって行けって言っても断っちゃうんだもの。

鬼太郎はゆっくりこの景色を眺めながら帰りたいのかもしれないし、一人で考え事があるかもしれない。
鬼太郎だって、今日の大団円は嬉しいはずだよね。あんまり人前で大喜びしないタイプだから、きっと静かに喜びを噛み締めたいんだと思うんだ。
だから邪魔しないように、少し離れて静かに後をついていくの。

何気なく、もう一度月の道のほうを見たら、ちょうどその波打ち際に、何か拳くらいの塊が転がっているのが目に入った。
波が寄せ、引くたびに、ころころと転がる。
あれ、何だろう。転がりながらきらきら光るのが、すごく気になる。

駆け寄ってみたら、白い巻貝の貝殻だった。
貝の裏側が月と同じ色に光って、なんだか不思議。本当にただの貝殻かな?
もしかして、この道を通って来た、月の生き物だったりして!
「ねー鬼太郎、親父さん、これって…」
言い掛けて振り返ると、鬼太郎はとっくに先を歩いていた。
いけない、また、つい寄り道しちゃった。

とりあえず、貝と靴を手に持ったまま鬼太郎の後を追いかけて、少し後ろまで追いついてから、改めて貝を見た。
外側は泡立つ波みたいに真っ白、内側は銀色で虹を帯びてる。
見れば見るほどきれい。只者じゃないような気がしてきた。
耳に当てれば、何か聞こえてくるかな。何か、月からのメッセージとか…。

わくわくしながら、そっと耳に押し当ててみた。
こぉぉぉっという篭った音。
でも、その音に紛れて、何かごしょごしょと囁くような声が聞こえる。ような気がする。
もっとよく聞こうと強く押し当てると、その声が消えちゃう。
少し力を弱めたり、角度を変えたり、色々やってみると、確かに時々囁いてるみたい。
もうちょっとで、何か聞こえそうなんだけど…。

「今度は何をやっているのさ。」
急に声が聞こえて一瞬ハッとしたけど、気づいたら呆れ顔の鬼太郎があたしを見てた。
えへへ。立ち止まって、照れ隠しに笑ってみる。
「貝の声を聞いてるの。」
今は静かにして、というアピールに、小声で言った。
「ああ、貝殻を押し当てると、波の音がするっていうからね。」
鬼太郎は納得したような顔をしてるけど、わかってないなぁ。
これはただの貝じゃないかもしれないっていうのに。
「違うわよ。貝殻の声。」
また小声で言うと、鬼太郎は少し驚いた顔をした。
「声?」
「うん。波みたいな音に紛れてね、時々ごしょごしょって不思議な音が聞こえるのよ。それって、何か貝殻が言ってるんじゃないかと思って。」
あ、しまった。こんなこと言うと、また大笑いされるかも。
…と思ったけど、鬼太郎は案外真顔で首をひねって、
「うーん、どうかなぁ。ねえ、父さん。」
なんて言った。

あれ、親父さんの返事がない。なんだ、寝ちゃっているのか。
鬼太郎は、頭上に目をやってちょっと肩を竦めて笑ってから、「そうかもしれないね。」って言ってくれた。
今度は笑わなかったんだ。鬼太郎、やっぱり優しいなぁ。
それきり鬼太郎は黙った。貝の声を聞こうとしてるあたしに気を遣ってくれてるのかな。

もっとよく聞こえるように、邪魔な靴は砂に落として、反対の耳を塞いだ。
ごおおっという音。囁きは聞こえない。
色々角度や強さを変えて押し当ててみたけど、どうやっても、もうあのごしょごしょは聞こえなくなっちゃった。
篭ったような寂しげな音が、あたしの耳の中で海から聞こえる波の音と共鳴する。
まるで海がこの貝を呼んでいるみたい。
やっぱり、ただの貝だったのかな。海に帰りたがってるのかな。

貝殻を耳から外して眺めてみた。
白い殻にはよく見ると、小さな海草やもっともっと小さな貝がところどころに付いている。
やっぱりこの貝はずっと海にいたんだ。海に返さなきゃ。

と思って顔を上げると、目の前で鬼太郎がぼんやりとあたしを見ている。
やだ、また目の前の鬼太郎のこと忘れて、貝に夢中になっちゃった。
「鬼太郎も聞いてみる?」
たぶん、ただの貝だから何もしゃべらないとは思うけど。
「いや、いいよ。もし、貝殻の声が聴こえたら、貸してくれよ。」
そう言って、あたしが落とした靴を拾って砂を払ってくれた。
「さあ、もうすぐ浜が終わって山道に入るよ。そろそろ靴を履いたほうがいい。」
「あ、ありがとう。」
ちゃんと揃えてあたしの前に置いてくれる。
優しいなぁ。でも何だか恥ずかしくて、あたしは慌てて靴を履いた。

そうだ、山に入る前に貝を海に返してこなきゃ。
今度は鬼太郎を待たせないように走って行って、貝殻をそっと波打ち際に転がしてきた。
「あれ、もう貝殻の声を聞かなくていいのかい。」
戻ったあたしに、鬼太郎は笑いかけてくれた。
鬼太郎の笑顔、あったかくて優しいんだよね。自然にあたしまで笑顔になっちゃう。
「うん。あの貝殻、喋らないみたいだから。」
「お土産に持って帰ればいいのに。」
「ううん。貝は海と一緒にいるほうが幸せよ。ゲゲゲの森に連れて行ったらかわいそう。」
あたしにはあたしの居場所があるように、あの貝にも待ってくれてる場所がある。
それは森でも月でもなくて、あの海なんだわ。

ああ、なんだか、あたしも早くゲゲゲの森に帰りたくなっちゃった。
だから今度は鬼太郎の先に立って歩き出した。
でも、浜が終わる直前、もう一度だけあの景色を目に焼き付けたくて、振り返った。
「本当にきれいな海だったねー。まだ、月の道があたしたちの方に伸びてるよ。」
あたしのすぐ後ろを歩いていた鬼太郎も、同じように海を見た。親父さんは、まだ寝てるみたい。
「そうだね。今日はあの道を渡れなくて残念だったけど。」
うふふ。鬼太郎ったら、あれを道だと言ってくれるのね。さっきは笑い飛ばしたくせに。

さあ、名残惜しいけど、もうこのきれいな海とはさよなら。
あたしたちには、ゲゲゲの森が待ってるもん。
「さ、今度は山のお散歩でしょ♪」
吹っ切るように言って、鬼太郎より先に歩き出した。
今度は打って変わって暗い山道。
でもここにも、きっと幸せなことが待ってるんだわ。
なんたって、鬼太郎が一緒なんだから。

思わず得意の鼻歌まで歌って歩いてたら、後ろから低い声が聞こえてきた。
「猫娘、辛くはないのかい?」 独り言かと思うくらい、小さな声だったけど、鬼太郎はじっとあたしを見てる。
辛い?
何が?
夜通し歩くのが、かな。それとも、暗い山道が、かな。
どっちにしても、辛いわけがないわ。これからどんな楽しいことが待ってるだろうって思ってるのに。
「ううん、ちっとも。だって、鬼太郎が一緒だもん。」
思ったとおりに、言ってみた。

鬼太郎は、目を見開いて、ぼーっとあたしを見つめたまま。
どうしたんだろう。
自分で歩くって言い出したくせに、辛くなっちゃったのかな。やっぱり砂浜を下駄で歩き続けて、足を痛くしたのかしら。
それとも、暗い山道が怖くなっちゃったのかな…。ううん、それはないわね。

「鬼太郎は辛いの?」
辛いなら、ここからカラスたちを呼べばいい。
足を痛めたのなら、無理はしないほうがいいわ。

鬼太郎は驚いたような顔をして、少しの間無言でいたけれど、ふいに笑って言った。
「いや、猫娘が一緒だからね。」

とくん、と、また心臓が高鳴った。それからドキドキしてきた。
やだ、鬼太郎ったら、そんな笑顔でそんな台詞、嬉し過ぎるけど恥ずかしい。
あたしと一緒なら、歩きにくい砂浜も、暗い山道も辛くはないの?
鬼太郎も、そう思ってくれてるの?
う、嬉しいよ〜。

「さあ、行こうか。山の中は暗いから、あんまり道草しないでくれよ。見つけるのが大変だからね。」
恥ずかしくて顔も上げられないっていうのに、鬼太郎ったらそんなあたしの気も知らずに、先に立って歩き出した。
「あっ、待ってよ、鬼太郎!」
もう、あんな台詞で人をドキドキさせるかと思うと、すごくそっけない態度をとるんだから。
鬼太郎って、本当によくわかんない!

「ほら。」
ああまた、振り向きもしないで、優しく手を差し出す。
いつものように、さりげなく、自然な仕草。
あたしもいつもどおりに黙ってその手を繋ぐけれど、こんな仕草にあたしはどこまで期待していいのかしら。
仲間として? 男の子の義務として? 友達として? それとも…。

まあ、いいや。
鬼太郎がどういうつもりでも、あたしはあたし。
こうして手を繋いで、木の葉の間から月の光が差し込む暗い道を、親父さんと鬼太郎と一緒に歩いている今が幸せ。
だから少しでも長くこの時間が続くように、鬼太郎の手をしっかり握って、ゆっくり、ゆっくり歩いていくの。


おしまい
2008.10.24


なんと一年以上のブランクを乗り越えての復活SSでございます。
まったく同じシチュエーションの話を鬼太郎の心情から書いた作品と対になっています。
この作品のベースは、私の中の「ベスト・オブ・4期猫娘のワンシーン」から広がった妄想。
文中で鬼太郎がわざわざ解説してくれている通り、さざえ鬼のお話のワンシーン、耳に貝殻を押し当てる猫娘です。
4期猫娘は、こういうさりげなく無邪気な仕草や言葉に、ノックダウンさせられてしまうことがよくありました。
いつもなんとなく鬼太郎にくっついているのじゃなく、自分の意思で行動し、一緒にいるときも互いに自分の世界を保ち互いを縛らない、そんな関係がいいなと思います。

ちなみに、バックの写真はおそらく、「月の道」じゃなく「夕日の道」ですね。一生懸命探したけど、素材写真としての「月の道」の写真がみつからなかったんです;;;