幸せのかたち 台風一過の高い空に、おいしそうないわし雲が浮かんでいました。 妖怪アパートの近くの川原では、猫娘が一張羅の着物の洗い張りをしていました。 (あの雲が全部いわしだったらいいのになー) のり付けした木綿の布を板に貼り付け終わると、そんなことを考えながらぼんやりと空を見上げました。 すると、そこに雲と同じくらいに白い、細長い何かが飛んでいるのに気づきました。 (あ、あれは…) 猫娘はいいことを思いつきました。 「一反木綿ー!」 その白く細長いものに呼びかけ、おいでおいでと手招きをします。 すると、白く細長いものは向きを変え、猫娘の目の前にふわりと下りて来ました。 「いやあ、今日はいい散歩日和でごわすなぁ。猫娘どんは洗濯でごわすか。そりゃ感心ばい」 一反木綿というその妖怪は、自分と同じ木綿の反物がきれいに洗われ日に当てられているのを見て、それは嬉しそうに笑っています。 その様子を尻目に猫娘は悪戯っぽい笑みを浮かべると、しっかり一反木綿の端っこを掴んでから言いました。 「ちょうどよかったわ。実はねえ、石鹸も米のりも板も、まだ余ってるのよねぇ…」 その笑みと言葉の意味するものを悟った一反木綿は慌てて逃げようとしましたが、すでにその先っぽはしっかり握られていて逃げられません。 「うわー、勘弁でごわす! おいどんは別に汚れてなかとよ!」 やめてくれと身を捩ってももがいても、その身はするすると手繰り寄せられ、ついに一まとまりにされてしまいました。 「汚れてないわけないでしょ。いつもみんなを乗せて飛び回ってるんだから」 そのまま盥に張られた石鹸水の中に、ずぶずぶと浸されていきます。 「きれいにしてあげるからね。さっぱりするよー」 「うわわー! なんばすっとね、こんお節介娘がっ! やめるでごわすー!!」 散々文句を言いながらも、顔まで石鹸水に浸る頃には大人しくなりました。 その気になれば女の子の手くらい振り切って逃げられるのですが、そうしなかったのは、口で言うほど嫌じゃないからです。 本当は、一反木綿もきれいに洗ってもらうのは気持ちがいいし、好きなのです。 でも、石鹸の泡でぶくぶくと揉まれていると、あまりの気持ちよさにうっとりしてしまうので、それを見られるのが恥ずかしいのです。 「まったくもう、おいどんをその辺の浴衣と一緒にしないでほしいでごわす…」 ぶつぶつ言い続けているけれど、嬉しそうに目尻を下げて、内心はまんざらでもありません。 「あ〜、よかねー、生き返るでごわす〜」 つい本音が漏れました。 「そうでしょう。洗濯なら任せなさいって。おばばにばっちり教わったんだから!」 気持ちよさそうな顔を見て、猫娘も満足そうです。 そして一反木綿は、いつのまにかうとうととまどろんでしまいました。 こうなるともう、ただの木綿の反物と同じです。 猫娘は思う存分、普段は触らせてもくれない顔や手までしっかりと洗いました。 一反木綿が目を覚ましたのは、午後の涼しい西風がすうっと自分の体の先っぽを撫でたときでした。 「ん…んあ? あわわ…、ど、どーいうことでごわすか、これはっ!」 驚いたのも無理はありません。 一反木綿はしっかりとのりを塗られ板に貼り付けられていたのです。 昔から木綿の反物は、こうして板に張って乾かします。 猫娘は砂かけ婆に教わったとおりに、ちゃんと洗い張りしたのです。 「あ、一反木綿、目が覚めたんだ。ずいぶん気持ちよさそうに寝てたよー」 隣に座ってお茶を飲んでいた猫娘が笑いかけました。 「なっ…、かーっ、もう恥ずかしかーっ!」 硬派の一反木綿には、少女に洗われて夢見心地になったり、そのまま寝てしまったりなんていうのは、それはもう恥ずかしいことなのでしょう。 照れているのか怒っているのか、真っ赤になって起き上がろうとしました。 ところが、なかなか起き上がれません。 「あ、ダメダメ。しっかりのりづけしたんだから。乾くまでもう少し待っててよ」 「の、のりづけー? なんてことするでごわすかっ! そんなことしたらゴワゴワになるでごわす!」 「あはははっ、ゴワゴワになるでごわすだって。駄洒落みたいー」 悪びれもせずに笑う猫娘をみて、一反木綿は大きな溜息をつきました。 「まーったく、猫娘どんのお節介にも困ったもんでごわすなー」 「え…、迷惑だったかな…。あたし、ぱりっとのりの効いた木綿って気持ちいいかなーと思って…」 自分でもお節介がすぎることがあるとわかっているので、猫娘はまた失敗したかもしれないと、やっと気づいたようです。 しゅんと俯いてしまった猫娘を見て、今度は一反木綿が慌てました。 「ああーっ…、じゃっどん、たまにはぱりっとするのもよかねー。気分が引き締まるでごわすよ」 乾いてこわばってきた顔を引きつらせながら笑うと、一反木綿の言葉を真っ直ぐに受け止めた猫娘は、 「でしょ。よかったぁ。やっぱり気持ちいいもんね。時々洗ってあげるからね」 そう言って嬉しそうに笑います。 (あ〜あ、結局おいどんは、猫娘どんのこの笑顔に弱かとね〜。薩摩男ともあろうものが、情けなか…) そして、去年の冬にも、猫娘のお陰で思い出すだけでも冷や汗が出るほど恐ろしい目にあったことを思い出しました。 なんといっても、畏れ多くも閻魔大王に直訴に行ったのですから。 その日も、一反木綿は夜空の散歩を楽しんでいました。 そうしたら突然、鬼太郎から呼び出しがあったのです。 すわ妖怪退治かと思って急いで駆けつけた一反木綿に、鬼太郎は意外なことを言いました。 「ある人間の女の子を捜しに行きたいんだ」 しかも行き先は眠ることを知らぬ不夜城、若者や酔っ払いがざわめく歓楽街。 妖怪にとっては、出来るだけ近寄りたくない場所です。 「冗談じゃなか! あんな夜中もまぶしくて騒々しいところ、おいどんは好かん。人捜しなら、おいどんがいなくてもできるじゃなかか!」 鬼太郎のためだったらどんなことも厭わない一反木綿ですが、見ず知らずの人間のために苦手な場所を飛び回るのは嫌なのです。 けれどもその時、鬼太郎の隣に神妙な顔で立っていた猫娘が必死に言いました。 「お願い、一反木綿! 里子ママ、死んじゃうかもしれないの。一刻も早くマリさんを捜し出して会わせてあげなきゃ…、このままじゃダメなの…!」 詳しい事情はわからなかったけれど、大切な人を探しているということと、一刻を争うということだけは猫娘の様子から伝わりました。 大切な仲間が困っているのです。一反木綿は協力することにしました。 鬼太郎と目玉親父と猫娘の三人を背中に乗せた一反木綿は、現地に行くまでの間に鬼太郎からおおよその成り行きを聞きました。 掻い摘んで言えば、猫娘がママと呼んで慕う女性が危篤となってしまい、家出している本当の娘をなんとか捜し出して見舞いに行かせたいということでした。 幸いにも鬼太郎の手がかりが的中し、すぐに目当ての女の子を捜し出した一行は、再び一反木綿に乗って病院へ急行しました。 女の子を母親と対面させる間、一反木綿は病人を驚かせてはいけないと、外で待つことにしました。 そういうことはよくあるので、特別寂しいとも思いません。 それに、慣れない歓楽街を飛び回って疲れていましたから、息抜きもしたかったのです。 一人で夜空を見上げながら、うまくお母さんと仲直りできるといいな、と思っていました。 ところが、いくらも経たない内に、女の子が病院から飛び出してきました。 しかも、頬を腫らして泣いています。 後から猫娘まで出てきて、女の子を慰めに行きました。 どうなるんだろうとドキドキしながら待っていたら、なんだか話がおかしな方向に流れ始め、閻魔大王のところへ掛け合いにいくことになってしまいました。 急いで地獄に行くとなれば、自分が彼らを乗せていくのは、避けられないでしょう。 (ええー、いくらなんでも、地獄は勘弁して欲しいでごわす…) 一反木綿は思いましたが、猫娘の思いつめた様子と、それに加勢した鬼太郎の熱意を見て、何も言えなくなってしまいました。 黙ってまた三人を背に乗せ、地獄へと降りて行きました。 地獄の閻魔庁までは目玉親父の顔のお陰でスムースに行けましたが、地獄中に響き渡る閻魔大王の怒鳴り声が怖くて、生きた心地もしませんでした。 あの目玉親父でさえ、聞こえるたびにカタカタと身を震わせるのです。 一反木綿はもうしゃべる気力もなく、黙ってついていくのがやっとでした。 それなのに、度胸の据わっている鬼太郎はともかく、猫娘も怖がりもせずに足早に進んで行きます。 もっと驚いたのは、閻魔大王の前に出てからです。 恐怖のあまり一言も口を聞けなかった一反木綿なのに、猫娘は閻魔大王に怒鳴りつけられても怯まず、目を逸らすこともなく訴え続けました。 そのときに聞いた言葉を、一反木綿は今も忘れません。 「かわりに命を落としても構いません。だから…どうか…」 消え入りそうな声で、猫娘はそう言いました。 猫娘が鬼太郎のことを大好きで、それこそ命掛けで守ろうと思っていることは知っていますし、それは一反木綿も同じです。 でも、出会ってから間もない人間にどうしてここまで出来るのか、不思議に思いました。 親の顔も知らない猫娘だから、たとえそれが仮初であっても「家族」ができた以上、それを守りたいのでしょうか。 それなのに、命掛けで守ったのに…。 その後のことは、一反木綿にはどうにも腑に落ちないのです。 地上に戻った猫娘は、マリさんを説得し、見事に里子ママの命を救いました。 奇跡的に一命を取り留めた里子ママと、絆を取り戻し始めた家族。 そこで一緒に喜びを分かち合うと思っていたのに、猫娘はそのまま黙って病室を後にしました。 やはり外で待っていた一反木綿は、あまりにも早く出てきた猫娘に訊きました。 「あれ? 猫娘どん、早かねー。ちゃんと里子どんとお話したんでごわすか?」 すると、静かに首を振ってこう言うのです。 「今は家族だけの大切な時間だもん。お邪魔虫は退散するわ」 「そ、そんな! だって、里子どんが助かったんは、猫娘どんのお陰じゃなかね!」 「違うよ。マリさんががんばったからだよ。マリさんとパパさんの想いの力のお陰だよ」 「じゃっどん、猫娘どんが命ば掛けて閻魔大王にお願いしたんじゃなかね。遠慮することはなか! 少しは猫娘どんに感謝ば…」 「いいんだよ、一反木綿」 ついむきになって口調を強めた一反木綿を、鬼太郎が制しました。 「猫娘って…、そういうやつなんだよ」 猫娘に聞こえないようにそっと囁かれれば、一反木綿は釈然としないながらもみんなに従って病院を後にする以外にありませんでした。 鬼太郎も猫娘も、あんなに怖い思いをしたばかりだというのに、あの親子のことなどなにもなかったかのように、楽しそうに笑っています。 (鬼太郎どんも案外薄情でごわすね。ちょっと猫娘どんの背中ば押してあげればよかでごわすに…) 今でも一反木綿はそう思うのです。 「どうしたの? やっぱり迷惑…だよね。ごめん、あたし勝手に…」 しばらく黙って思いに耽っていた一反木綿に、不意に猫娘が声を掛けました。 その声で、一反木綿は我に返りました。 「い、いや、ちょっと考え事ばしとっただけでごわす。迷惑だなんて、ちいっとも思ってなか!」 「そっか。よかった」 ほっとして笑みを零す猫娘が、一反木綿はやっぱりわかりません。 「どして猫娘どんは、そげん遠慮ばかりするでごわすか。迷惑だなんて思い込んでおいどんの機嫌ば伺うようなことして。そげな気弱な猫娘どん、らしくないでごわすよ」 それは、あの事件の日に感じた疑問に通じます。 命がけで守った人から、どうしてあっさりと身を引くのか。 今だって、強引に一反木綿を洗ったくせに、どうして後から迷惑じゃないかと気に病んだり謝ったりするのか。 強気に出ていたと思うと、相手に必要とされていないと急に手のひらを返したように引っ込んでしまう。 お節介でちょっと強引なくらいが猫娘らしいと、一反木綿は思うのですが、邪魔だの迷惑だのと言って遠慮する姿は、どうも納得出来ません。 命を懸けるほどの情熱があるのなら、それを貫けばいいのに。 ところが、猫娘は当たり前のような顔で明るく返します。 「遠慮なんてしてないよ。気弱になってるわけでもないし。あたしはただ、一反木綿がきれいになるのが嬉しいから洗いたいだけなんだ。でも、もしそれが迷惑なら、無理強いしたくないだけよ」 そしてふんわり笑います。 「一番大事なのは、一反木綿が幸せ〜って思ってくれることだから」 その笑顔を見ていて、一反木綿はわかったような気がしました。 好きな相手が幸せであること、これが、猫娘の行動の根本なのです。 「好き」というのは純粋で一方的な感情だけれど、相手の幸せを願う気持ちはもっと複雑で温かく、時にはそのために自分の思いを押し殺すことだってあります。 猫娘はきっと、それを我慢とか犠牲という意識もなく、自然に相手の幸せを自分の幸せ以上に感じることが出来るのです。 そして、そんな猫娘のことを、鬼太郎はよくわかっているのでしょう。 (だから鬼太郎どんも、なにも言わんかったとね。それが猫娘どんの幸せだってわかってたから…) やっと納得のいく答えを見つけて、一反木綿はすっきりしました。 今日の空みたいに晴れやかな気持ちです。 「いや〜、わっぜぇ気分がよかー!」 そう言いながら、う〜んと伸びをすると、ぱりぱりぱり、と音を立てて体が板から離れました。 「おお、のりが効いてるでごわすー。ひっさしぶりに背筋が伸びるような気持ちばい!」 のりの効いた木綿なんて気取ってて嫌だったのですが、いざのりづけされてみると、思いの外いい気持ちです。 「うん! なんか一反木綿、しゃきっとしててちょっとかっこいいよ。いつもヨレヨレしてるもん」 「ヨレヨレで悪かったでごわすね! おいどんは柔らかい肌触りが自慢なんでごわすっ!」 「まあ、たまにはぱりぱりもいいじゃない」 猫娘はころころと笑います。 この笑顔も、一反木綿が幸せだからこそ向けられているのでしょう。 一反木綿はなにかお礼がしたくなりました。 もっと笑顔が見たいからです。 「一緒に、空の散歩の続きに行きもんそ」 猫娘が乗りやすいように背を差し出します。 「うわー、いいの?」 猫娘は遠慮がちに、でも嬉しそうにそっと跨ります。 「うふふ。洗いたての木綿って、気持ちいーい。石鹸のいい匂い…」 猫娘はすべすべと撫でたり、抱きついたりしています。 一反木綿は嬉しくて照れくさくて、つい顔が緩んでしまいますが、気を引き締めて飛び立ちます。 こんなところ、もし鬼太郎に見られたら、自分の命が本気で危ないと思ったのです。 「しっかりつかまるでごわすよ」 ゆっくりと、少し茜色を帯びてきた空に飛び立ちました。 「わあああ、きれい…」 ほんのり秋の色に染まるゲゲゲの森の上を、こんなにゆったりした気持ちで飛ぶのはめったにないことです。 「そういえば、猫娘どんを乗せて散歩するのは初めてでごわすね」 「うん。いつも鬼太郎と一緒だもんね。一反木綿は…」 猫娘の声が寂しそうに篭ります。 「鬼太郎は…一反木綿のこと、すごく大切に思ってるもんね。鬼太郎には一反木綿が必要だもん。ほんとに、いいコンビだよ」 笑ってはいるけれど、その裏に隠された気持ちに一反木綿は気づきました。 そういえば、鬼太郎と一反木綿が一緒にいるとき、猫娘は絶対に入り込んできません。 それもみんな、ふたり(と親父さん)の楽しい時間を邪魔してはいけない、という猫娘流の気遣いなのでしょう。 でも本当は、きっと一緒にいたいに違いありません。もっと言えば、鬼太郎と一緒にいるのは自分でありたいというのが本音でしょう。 「じゃっどん、いくらおいどんでも、いいカップルにはなれんとよ」 「え…? な、なんでそんなこと…」 一反木綿が鎌を掛ければ、猫娘は素直に真っ赤になりました。 「そん相手は、ちゃんとおるからねー。鬼太郎どんが望む相手が」 「だっ、誰よそれ! 一反木綿、知ってるの?」 「んー? さあ。なんとなくそう思うだけでごわすよ」 「なーんだ、もう。びっくりさせないでよ」 「もしおいどんが知っとったら、聞きたいでごわすか?」 「…ううん。聞きたくない…」 それっきり、黙って金色の雲を見ています。 もし、鬼太郎が他の誰かを好きになったら、猫娘は躊躇することなく身を引いてしまうのでしょう。 こんなに身も心も捧げて共に戦ってきた鬼太郎のもとを、その幸せのために喜んで去っていくのでしょう。 もし、それでも仲間としての力を求められたら…、きっと猫娘は、惜しみなく協力するのでしょう。 鬼太郎の隣に、他の誰かがいるとしても。 (そげん悲しかこと、おいどんがさせんと!) 一反木綿は、くるりと向きを変えるとスピードを上げました。 「ちょっと、急にどこ行くのよ」 振り落とされないようにしがみ付きながら猫娘が聞きます。 「せっかくだから、鬼太郎どんも誘うでごわすよ。こげん気持ちよか散歩、ふたりだけで楽しんだらもったいなかと」 速度を上げて、鬼太郎の家を目指します。 「それもそうね…」 頷いて、猫娘は嬉しそうに頬を染めました。 西に傾いたお日様が、それと同じくらいに紅く染まり始めていました。 おしまい
念願の、猫娘&一反木綿のお話です〜!!! |