酔漢恋談義 湯けむりに揺れる影ふたつ。 その一つの影の主が動き、今一つの影の主の杯に酒を注ぐ。 四本目の徳利が空になった。 最後のひと滴をしっかり受け止めた杯に、薄く白い唇が吸い付くや、満たされた酒を一息に飲み干した。 「はああああ〜、おいしかねぇ…。」 酒臭い息を吐きながら、さもうまそうに呟いたのは、白く揺れる一反の木綿。 「本当にきみは、強いんだなあ。」 「そういう鬼太郎どんも、強かぁ。みんなの世話ばしとる猫娘どんを除いて、あとのみんなは酔いつぶれてしもうたもんね。」 「ぼくは適当に誤魔化してるからね。まともに飲んでいたら、とてもみんなにはついて行けないよ。」 鬼太郎は肩を竦めて苦笑した。 「そげんこつ言ったって、結構飲んどるとよ。たいしたもんでごわす。」 言いながら一反木綿は、五本目の徳利を取ると鬼太郎の杯を満たした。 「あ〜、これで最後の一本でごわすか…」 残念そうに、徳利を見つめる。 「まだ足りないのかい? 持ってきたお酒、全部飲み尽くしちゃったよ。」 呆れたように言われて、一反木綿は照れ笑いを浮かべた。 「こうして秘湯に浸かってうまい酒を飲めるなんて、最高の贅沢ばい。酒が進むのも無理なかと。」 嬉しそうに揺れるこの心優しき友の姿を見て、鬼太郎は来て良かった、と改めて思った。 鬼太郎たちは、目玉親父と、砂かけや児啼きや猫娘をはじめアパートの住人、一反木綿、ぬりかべ、そしてなぜかねずみ男といういつもの面子で、年忘れの慰労会と称して温泉旅行に来ていた。 ここはもともと、過疎の村の山奥に湧く温泉で、一時は人間によってこぢんまりとした宿が建てられたものが潰れ、廃墟となっていた。 その情報を仕入れ、慰労会の企画を立てたのが、猫娘だ。 こういう時の猫娘の行動力には、いつもながら舌を巻く。 さっさと段取りを決め、自分は一足先に現地に入って、埃まみれの廃墟をたった一日で居心地の良い宿へと整えたのだから。 それに、今回は特に、いつも仲間たちを運ぶ重労働を負っている一反木綿に思う存分羽を伸ばしてもらいたいと言って、彼も(もちろんぬりかべも)一緒に道行を楽しめるように妖怪バスを手配し、彼の好きなお酒をたくさん用意した。 そういう心遣いも行き届いている。 鬼太郎もそれなりに仲間たちに気を遣っているつもりだが、つい人助けに夢中になって、仲間に無理を強いることも多い。 仲間から「人使いが荒い」などと文句を言われることもしばしばだ。 だから、こうして猫娘が自分の至らない部分を補ってくれることには、心から感謝していた。 おかげで一反木綿は、好みの酒の揃った酒宴に大いに満足し、他のみんなが潰れた後も鬼太郎と二人、最後の五本の徳利を持って露天風呂に場所を移し、飲みつづけているのだ。 「今夜は、降りそうやね。」 不意に、一反木綿が呟いた。 つられて空を見上げれば、厚い雲に覆われて星一つない闇が広がっている。 湯気を吸い上げる空気には、身を刺すような寒気が張り詰めていた。 「雪…か。それも風情があっていいんじゃないか。」 「そうでごわすな〜。雪見酒もよかね〜。こげん贅沢、まっこて久しぶりやもん。」 「みんなにはいつも世話になりっぱなしだからね。とくにきみには、つい甘えて無理なお願いばかりしてしまうから…。せめてもの感謝の気持ちさ。」 気付くと空になっている一反木綿の杯を満たしながら鬼太郎が言うと、一反木綿は突然わなわなと震えだした。 「き…、鬼太郎どん…。あんたって人は…。」 それっきり、腕を目にあてがっておいおいと泣き出す。 「おいどんは、鬼太郎どんに会えてほんのこて幸せでごわす! 感謝してるのは、おいどんの方ばい!」 「どうしたんだよ、いきなり。泣き上戸かい?」 「そげんじゃなか! 真面目な話ばい!」 ふらりふらりと揺れながら言うが、目は相当据わっている。 「あんたに出会うまで、おいどんはずっと、もやもや苛々した気持ちば抱えて、無闇に人間ば襲っちゃ、憂さを晴らすけちな妖怪だったと。人間と仲良うするなんて、冗談じゃなかと思っとったでごわす。」 「そうなんだってねえ。見かけによらず。」 「じゃっどん、あんたに会って、人間の良さっちゅうもんが、少しずつわかってきよった。あんたの言うとおり、人間と仲良う過ごせる世の中にしたいと、思うようになったと。」 「きみが仲間になってくれたときには、本当に嬉しかったよ。」 「そしたら、いつのまにかもやもやや苛々がなくなって、生きる元気ば湧いてきよって、希望みたいなもんもできたとばい。」 いつになく饒舌に、口調もくだけてきた一反木綿の話を、鬼太郎は相槌を打ちながら聞く。 普段あまり多くを語らない彼に、酒の力を借りてでも心の中を吐き出させるのもいいだろうと思った。 「人間に感謝されたり、仲間から頼られたり、助け合ったりすることが、こげんに幸せだっちゅうことを教えてくれたとね。」 「それはぼくが教えたわけじゃない。一反木綿、きみが自分で気付いたんじゃないか。」 「じゃっどん、鬼太郎どんからみれば、おいどんは始末されてもおかしゅうなか程、悪行を重ねてきたとよ。そげん妖怪を信頼して、側においてくれたんでごわす。どんだけ嬉しかったか、あんたにはわかんなかとねー。」 身振りも大袈裟に、涙ぐみながら語るのを、鬼太郎はまあまあと宥めながら、 「過去なんて関係ないさ。出会ったとき、きみはぼくの話を聞いてくれた。ぼくを理解してくれた。そして、仲間になってくれた。それだけで十分だよ。」 にっこりと笑って言った。 「きっ…鬼太郎どん〜! おいどんは、他の妖怪たちに『鬼太郎の前ではいい顔してる』なんて悪口言われたって構わなか! 人使い荒うても、乗り物扱いされても、武器みたいに使われても我慢すると! 一生あんたについてくでごわす〜〜!」 「はは…。ぼくも一反木綿をもっと大切にするよ…。」 どさくさ紛れに言いたいことを言われて苦笑を漏らすと、一反木綿は急にしかつめらしい顔になり、首を横に振った。 「そいは違うと。そいはおいどんに言うことじゃなか。もっと大切にしないかん相手がおるとね。」 「はあ? なんだよ、急に。」 話の展開がつかめず、鬼太郎が聞き返すと、一反木綿はにやりと笑った。 相変わらず目が据わってゆらゆらと揺れ、かなり酔っているようだが、自分では真面目なつもりらしい。 「わからなかと?」 「なんのことさ。」 「鬼太郎どんが大切にするべき相手ばい。」 「わかってるよ。父さんだろう。いつも大切にしてるつもりだけど。」 鬼太郎が、少しむっとしたように言うと、一反木綿はやれやれ、というように肩を竦めた。 「わかってなかとねー! そりゃ親父どんも大切にしないかんけど、他にもおるじゃなかね。ほら、明るくて、いつもくるくる良う働く、気立てのよか娘が。」 「ああ、…猫娘?」 「そうでごわす! あん娘は、大切にしないかんとよ。」 「…猫娘の事だって、大切にしてるよ。」 「いーや、そげんこつじゃダメばいぃ。鬼太郎どんは、乙女心がちぃっともわかっとらん!」 「オトメゴコロって…。それじゃ、きみはそのオトメゴコロがわかるっていうのかい。」 「いやまあ…、乙女心は難しか。…じゃっどん、猫娘どんが鬼太郎どんのことを好いとることだけはわかるとよぉ!」 胸を逸らして、威張りくさって言い切る。 「そんなこと、ぼくだってわかっているさ。でも、それとオトメゴコロは別だろう。そのオトメゴコロがわからないから、苦労してるんじゃないか!」 「そげんこともわからなかと! いやいや、賢いようでも、まだまだ子供ばーい。」 「泣き上戸の次は説教か…。もういいよ。酔っ払っている時にこんな話はよそうよ。」 「いーや、今しないでいつするでごわすか! おいどんは前から、一度言うてやろう思うとったばい!」 一反木綿は杯の酒をくいと飲み干すと、荒い鼻息をひとつついて湯気を揺らした。 「猫娘どんは情はきっつかけど、博愛の心の持ち主ばい。親しゅうなった相手に、惜しみなく愛情を注ぎよる。そいを鬼太郎どんは独り占めしとるとよぉ! わかっとるとぉ?」 「独り占めだって? そんなこと、出来るもんならしてみたいよ。」 「しとるじゃなかかぁ! あん娘はいつ誰といても、鬼太郎どんのことばーっかし考えとるもん!」 「そんなことないよ! いつだって猫娘は、みんなのことを考えているんだ。ふたりでいても、父さんやきみや、ねずみ男のことを気にかけたりして…。」 「なに言うとね! 猫娘どんてば、いつもは優しかけど、鬼太郎どんのためとなると周りば見えんようになって、みんなをえらいこき使うんじゃもん!」 そこでふたりは、互いの顔を見合わせた。 「一反木綿、それ本当かい?」 「そっちこそ、まっこて、ふたりきりの時でもみんなのこと気にかけてくれとるでごわすか?」 ふたり同時に頷くと、どちらからともなく破顔した。 「まったく、オトメゴコロってよくわからないや。」 「やっぱし、猫娘どんは博愛の心ばもっとるばいね〜。」 それぞれ納得したところで、互いに杯を満たし、最後の徳利が空になった。 「ま、鬼太郎どんも博愛主義やから、お互い様やね。じゃっどん、やっぱり特別なおなごは特別に大切にしないといけんよ。ふたりしてみんなのことばっかし考えとると、実るもんも実らんとね。」 「わかってるよ。その特別っていうのが難しいのさ。」 「もう〜、じれったかぁ。早く進展してもらわないと、こっちが落ち着かなかとよ!」 「なんでだよ! 関係ないじゃないか。」 「あはは〜。まあ、みんなで応援してるってことばい!」 「ちぇっ。勝手なことばかり言って…。」 酒と湯に上気した顔が更に赤く染まるのを、一反木綿は微笑ましく見守ると、 「ほいじゃ、鬼太郎どんと猫娘どんの明るい未来を祈願して、かんぱ〜い!」 無理やりに肩を組み、互いの杯をくっつけて乾杯した。 「ちょっ…と、なにするんだよ! 酔っ払い!」 「酔っ払いはお互い様とね〜♪」 一反木綿がはしゃいで振りかざした杯に、ひとひらの雪が落ちた。 「あんれ、やっぱり降り出したでごわす。」 「雪見酒にはちょっと遅かったなぁ、残念。」 「じゃっどん、きれいかね〜。冷たくて気持ちよかぁ。」 子供みたいに雪にはしゃぐ友を見て微笑むと、鬼太郎は手のひらに落ちては消える雪を握り締めた。 ひとひらの雪は儚く消えゆくけれど、少しずつ、絶え間なく降り続けば、やがてすべてを埋め尽くす。 そんな風に、自分の想いも少しずつ積もらせることが出来たら、いつかふたりは、変わるだろうか…。 「よーし、ぼくの明るい未来に、かんぱ〜い!」 空っぽの杯を高々と掲げ、大声で叫んだ。 「あー! 一人でずるか〜。おいどんの未来にも、かんぱい〜!」 負けじと、一反木綿も声を張り上げる。 酔っ払いたちのふざけあいは、その後、酔いつぶれた面々を寝かしつけて一風呂浴びようとやってきた猫娘に叱られるまで、止むことはなかった。 おしまい
ぜんぜんキタネコじゃなくてすみません;;; ずうっと書きたかった、一反木綿と鬼太郎のお話です。 |