道化師の子守唄 蒸し暑い昼下がりだった。 風を入れようと窓を開けても、淀んだ空気は動かない。 見上げれば、突き抜けるような青い空が、むくむくと湧く灰色の分厚い雲に覆われていくのが見える。 「嵐が来る…。」 息苦しいほどに重く湿った風を微かに感じ、猫娘は呟いた。 「鬼太郎のところに行かなくちゃ…。」 急いで身支度をすると、突然の訪問の言い訳にするための手土産を持って部屋を飛び出した。 目玉の親父は昨夜から古い友人を訪ねに泊りがけで出掛けており、鬼太郎は今、独りきりでいるはずだ。 鬼太郎を、嵐の中で独りにしてはならないと、猫娘は呟く。 猫娘の脳裏に、風に煽られ軋む樹上の家の中で独り蹲り、恐怖に震える鬼太郎の姿が浮かぶ。 そんなはずはない、誰よりも強い鬼太郎だもの。 怖いものなんて、聞いた事ない。 でも…、でも、嵐の日は…。 湧き上がる不安を振り払い、向かい風を切り裂くように猫娘は森の道を走った。 休みなく走り続け、見慣れた樹上の家に臨む沼の畔に出たその時、厚い雲の間から閃光が走った。 重い空気を震わせる雷鳴が轟くのと同時に、梯子を駆け上がり入り口の莚を跳ね上げる。 「鬼太郎!!」 乱れた呼吸を整えもせず、ほとんど叫ぶように名を呼ぶ。 目の前には、雷鳴と一緒に飛び込んできた訪問者に驚き目を丸くする鬼太郎の姿。 「猫娘…?」 ぽかんとして見上げる顔が思いのほか呑気だったので、猫娘はほうっと安堵の溜息をついた。 いきなり飛び込んで来たものの、さほど緊迫した様子ではないことを猫娘の表情から察すると、鬼太郎は笑って声をかけた。 「そんなに慌ててどうしたんだよ。雷様かと思ったじゃないか。」 猫娘は思い出したように乱れた髪や服を整えながら、照れ隠しに微笑した。 「な、なんでもない、なんでもない! 雨が降りそうだから急いだだけだよ。」 下手な言い訳をしながら靴を脱いで上がった時、ちゃぶ台の向こう側に蹲る、よく知った気配と鼻を突く臭いに気づいた。 「ん…? この臭い…まさか…。」 眉間に皺を寄せ鼻をくんくんと鳴らしたのと、薄汚れたマント姿の男がむっくりと起き上がったのと同時だった。 「…ったく、もうちょと大人しく入って来らんねえのかよ、跳ねっ返りが…。おちおち昼寝も出来やしねぇ。」 寝ぼけ眼で悪態をつく男を、猫娘は鋭い猫目で睨み爪を剥く。 「ねずみ男! なんであんたがここで寝てるのよ! またろくでもないホラ話でも持ってきたんじゃないでしょうね!」 「お前ねー、人を頭っから疑るもんじゃないよ。」 大げさに溜息をつくと、芝居がかって涙まで浮かべて熱弁をふるいだした。 「おれっちは住んでたボロ屋追い出されてさぁ、嵐が来るってぇのに雨風を凌ぐところもないから、こうして親友の鬼太郎くんを頼ってきたんじゃねぇか。それをホラ吹き呼ばわりするたあ、血も涙もねえ女だなー!」 「なあにが親友の鬼太郎くんよ! 都合のいいときばっかり鬼太郎に頼っちゃって!」 泣き落としが通用しないと見て取ると、今度は開き直ったようにふんぞり返る。 「おお、おれたちは親友よ。なあ鬼太郎。ま、所詮おめえみてぇなガキには、男の友情はわかんねえのよ!」 「なっ、なんですってええええ!」 ガキというのは、猫娘に対して禁句であった。 完全に猫化し、ちゃぶ台を飛び越えてねずみ男に飛びつこうとした瞬間、鬼太郎は横から抱きとめて引き離した。 「ふたりとも、いい加減にしろよ!」 少し強い口調で諌めながらも、手は優しく猫娘の背中を叩いて落ち着かせる。 「もう雨も降り始めたし、しばらくは外に出られないぜ。狭い家の中にいなきゃならないんだから、少しは仲良くやってくれよ。」 「まったくだぜ。本当に喧嘩っ早い女だな。ああ怖ぇ怖ぇ。」 大げさに怯えた振りをするねずみ男を猫娘は悔しそうに一睨みし、大きく深呼吸して気持ちを落ち着けた。 鬼太郎に迷惑をかけるためにここへ来たわけではないのだ。 「おい、ねずみ男、お前こそ猫娘相手に挑発するのはよせよ。大人気ないぜ。」 鬼太郎がきっぱりと言ってくれたので、それで少し気が済んだ。 お決まりのやりとりが一段楽したところで、鬼太郎は猫娘に向き直った。 「今お茶を淹れるから、嵐が行ってしまうまで、ゆっくりしていくといいよ。」 優しい言葉が嬉しくて、猫娘はほんの少し頬を染め、俯きながら頷く。 「あ、これお土産。またたび餅作ったの。一緒に食べようよ。」 すっかり忘れていたお土産をちゃぶ台の上に置くと、真っ先に飛びついたのはねずみ男だった。 「おっ、やったぁ! またたび餅にありつけるたぁ、ツイてるぜ!」 断りもなしに餅に伸ばした手を、猫娘はシャッと引っかき払いのけた。 「痛ぇっ! あにすんだよっ!」 「これは鬼太郎へのお土産なの! あんたの分はないわよーっ。」 ベーっと舌を出してまたたび餅を袋ごと引き寄せてしまう。 「なんでいっ、ケチ! この一週間ろくなもん食ってないおれっちの目の前で、鬼太郎と二人だけでネチャクチャしながら餅を食うってのかよ! 鬼! 悪魔! 因業化け猫女ー!」 「ネ…ネチャクチャってなによ、失礼ねっ! 素直に食べたいって言えば一緒に食べようと思ったけど、そこまで言われたらあげる筋合いないわねー。」 プイと横を向けば、打って変わって平身低頭の態で揉み手して拝みだす。 「いやー、猫娘ちゃん。おめえは話せばわかるイイ女だって前から思ってたんだよねー。ほんと、またたび餅作りも上手だし、いい嫁さんになるよ〜。だからさあ、一緒に食べましょうよ〜。」 「今更遅いわよ〜だ!」 再び伸ばされた手を払いのけ、更に鼻に皺を寄せてべーっと舌を出す。 「あっ、汚ぇぞ! 頼めばくれるって言ったじゃねえか! やっぱりおめえなんか因業化け猫女だー!」 「なによ! そっちこそ見え透いたおべっかなんか言っちゃって、誠意がないのよ!」 「くそっ! またたび餅よこせっ!」 「ダーメ!」 鬼太郎がお茶を持ってちゃぶ台に戻ると、子供じみた喧嘩の真っ最中だった。 またたび餅を抱え込んであっかんべえをする猫娘と、本気で涙ぐんであの手この手で餅をねだるねずみ男。 二人のやり取りを見比べるうちに、鬼太郎は可笑しくなって噴出してしまった。 「アハハハハ……。まったくふたりとも、よくやるよ。仲がいいんだか悪いんだか。」 肩を揺すって笑う鬼太郎を見て、猫娘は一瞬表情を和らげたが、すぐにきゅっと目を吊り上げて抗議した。 「ちょっと鬼太郎! 冗談やめてよ。こんな意地汚いやつと仲がいいわけないでしょ!」 「うるせえ! こちとら、おめえみたいな凶悪女、願い下げだあ!」 互いにさっきよりもひどい面相で、イーッと歯を剥いたり舌を出したりしだした。 鬼太郎は笑いながらも、慣れた調子でそんな二人のやり取りを受け流す。 「まあまあ、にらめっこはそれくらいにして、みんなでまたたび餅を食べよう。お茶が冷めちゃうよ。」 「しょうがない。鬼太郎に免じてちょっとは分けてあげるわよ!」 「おーっ! やったぁ。さすが鬼太郎ちゃん、おれっちの大親友!」 「調子に乗るんじゃない! 鬼太郎が先なんだからねっ。」 なんだかんだと言いつつも食卓は賑やかで、外の荒れ狂う風雨も雷鳴も、家の軋む音も、ほとんど耳に入らなかった。 * * * * 「ふぃ〜、食った食った。ごっそさぁん。」 ちゃぶ台の上のまたたび餅がすっかりなくなると、結局一番多く平らげたねずみ男が満足げに腹をさすった。 「あんたは食べすぎなのよ! 危うく親父さんの分までなくなるところだったわ!」 猫娘はふくれっ面をしながら、最後に残ったひとつをしっかりと仕舞い込んだ。 「へんっ。目玉には一かけらくらいでちょうどいいのによう。ケチケチしやがって。まあ〜ったくおめえは…」 「しぃっ。鬼太郎が起きちゃうでしょ。大きな声出さないで!」 小声で諌めた猫娘の傍らには、鬼太郎がいつの間にか気持ちよさそうに眠っていた 空腹も満たされ、昨夜遅くまで目玉親父の出かける支度をしたり途中まで送っていったりした疲れが出たのだろう。 まだ外では嵐が吹き荒れ、堅牢とはいえない家は木ごと揺すられ軋んでいたが、慣れているのかしっかり熟睡している。 猫娘は万年床から木の葉の掛け布団を持ってくると、そっと鬼太郎の腹に掛け、その寝顔を覗き込んだ。 「よかったぁ。なんだか幸せそうな寝顔だわ。」 「この嵐の中よく寝られるよ。そいつは寝ても覚めても呑気な奴だからな。」 「本当にそうなら、いいんだけど…。」 茶化したねずみ男に、猫娘は思いの外真面目な顔で応えた。 「でもさぁ、さっきは鬼太郎、本当に楽しそうに笑ってたよねぇ。」 ねずみ男との子供じみたやりとりに、思わず声を立てて笑っていた鬼太郎を思い出し、猫娘自身、嬉しそうに微笑んだ。 その顔をチラリと見遣ると、ねずみ男は呆れたように肩を竦めて溜息をついた。 「おめえもバカだねぇ…。」 「なによ、急に。」 「どうせ、嵐になりそうだから、鬼太郎を独りにしちゃいけねえなんて老婆心起こして来たんだろ。わざわざまたたび餅なんて持って。」 「え…?」 猫娘は驚いてねずみ男のほうを見る。 どうして自分の考えがこの男に見透かされているのか。内心戸惑っていたが、出来るだけ平静を装った。 「なにそれ。な、なんでそう思うのよ。」 「おめえの考えなんか、底が浅いからな。すぐにわからぁ。」 「う…。」 そんなに自分はわかりやすいのか、それともねずみ男が鋭いのか。 図星を突かれて、猫娘は返す言葉を無くして口ごもった。 「ったく、お節介な女だな。」 ねずみ男の言うとおり、猫娘は、嵐の中で鬼太郎を独りにしてはいけないと思い極めてきた。 それは、鬼太郎のこれまでの半生の、恐らく最も過酷な日――鬼太郎が生まれた日を彷彿とさせるから。 その日、母の屍の中から一人で生まれ地中から這い出た鬼太郎を迎えたのは、容赦なく打ち付ける冷たい雨と激しい風と、轟く雷鳴。 生まれたばかりの鬼太郎は、その場にたまたま居合わせた隣人である人間に必死にすがりついたが、彼はその赤ん坊を投げ捨て逃げ去った。 泣き叫ぶ鬼太郎を励まし救ったのは、わが子の危機を知り目玉の姿で蘇った、小さな父親だけだった。 蘇ったとはいえわが子を抱きしめることも出来ぬ父親は、唯一の頼みの綱である隣人――わが子を投げ捨て逃げていった人間にその命を託すため、鬼太郎の首に紐を結びつけて隣家への道のりを引いて歩いたという。 猫娘は、直接鬼太郎や目玉親父から聞いたことはないが、少しずつ耳に入る噂話などから、鬼太郎のこの凄絶な出生を知った。 そして自分の知り得ぬその日に思いを馳せては、やり切れぬ気持ちになるのだ。 生まれたばかりの鬼太郎と蘇ったばかりの目玉親父は、荒れ狂う嵐の中をどんな思いで這って行ったのだろう。 出来ることなら自分がその場に行って、泣きじゃくる鬼太郎を抱き上げ温めたい。温かいミルクと子守唄で、寝付くまで側にいたい。 でも、それが出来ないから、せめてもう二度と鬼太郎を嵐の中で不安にさせないように、守りたい。 生まれたときの記憶など、いくら鬼太郎といえども残っていないだろう。 それでもその時の不安は、深く脳裏に刻まれているかもしれない。 もう何十年も経った今でも、嵐の中に一人ぽっちでいたらその不安が蘇ってしまうかもしれない。 だから、絶対に独りにしたくなかったのだ。 「い、いいんだもん。お節介かもしれないけど、それで鬼太郎が笑ってくれるなら…。」 顔をプイと背け頬を染めて言う猫娘を、ねずみ男はさらに茶化すような口調で続けた。 「おめえは“たいこもち”のつもりかよ。鬼太郎のゴキゲン取るためなら何でもするってか。」 「そんなんじゃないもん! ゴキゲン取りなんて、あんたじゃあるまいし!」 「だったら、女捨ててまで鬼太郎を笑わせるこたぁねーだろ。」 口喧嘩ならねずみ男に叶うはずもなく、痛烈な言葉はいちいち猫娘の胸に深く突き刺さる。 それでも、気の強さだけは人一倍だから、つたない言葉ながらも言い返した。 「あっ…あたしがいつそんなことしたのよ! 女捨てた憶えはないわよ!」 「なに言ってやがんだよ。さっきなんて、ものすげえ面相だったぜ。だから鬼太郎に笑われたんじゃねえか。女ならよー、普通好きな男の前であんな顔はしねえよなー。」 「うっ…うそっ!」 弱みを掴んだとばかりに調子に乗って冷やかすねずみ男の言葉に、ついに猫娘は真っ赤になって俯いた。 さっき鬼太郎の前で自分がした顔を一つずつ思い出しては、あれはさすがにまずかったかなどと悔やむ。 その様子を面白そうに見ていたねずみ男の口から、とどめの一言。 「だーから、いつまでたってもおめーは女扱いされねえんだよ。」 言ってから、今のは失言だったかと、はっとして猫娘の方を見た。 猫娘の俯いた横顔は翳っていて、表情は読めない。 「あの〜、もしもし、猫娘さん…?」 気まずい沈黙に耐えかねて、ねずみ男が声を掛けたとき、 「はあああああっ…」 と特大の吐息を漏らして猫娘が顔をあげた。 「今のは痛かったな〜。」 苦笑交じりにねずみ男を見上げる。 「へ?」 激怒されるか泣かれるかと覚悟していたねずみ男は、予想外の反応に戸惑った。 「あんたって、時々鋭いこと言うのね。返す言葉も無かったわよ。」 珍しく褒められると、あっという間にお調子に乗って威張りだす。 「まあなぁ〜。おめえみてえながきんちょ女には、おれ様みてえな大人がガツンと言ってやらなきゃな。なんつーか、愛のムチってーの?」 いつもならここで爪を出し、調子に乗りすぎたねずみ男に鉄槌を下すところだが、今の猫娘はそれを気に留める様子もなかった。 「女捨ててるかぁ…。まいったなー。」 猫娘らしからぬ弱気な呟きに、ねずみ男もさすがに申し訳ない気持ちになってきた。 「あー、まあ、おれっちもちょっと言い過ぎた…かなーなんて…」 頭を掻き掻き言いかけたとき、猫娘が自嘲気味に笑った。 「あたしさ、いつもいつも鬼太郎に笑ってほしくて、心の底から笑ってほしくて、バカなこと言ったり、あんたと漫才みたいな喧嘩してみたり、大袈裟にはしゃいだり…。いつも、いつも…。」 少し言いよどんで、苦笑する。 「あたしって、バカだよね。」 笑って。 笑って、鬼太郎。 もっともっと笑って、鬼太郎。 それが猫娘の一番の願い。 表情豊かな猫娘と違いあまり感情を表に出さぬ少年を、いつも心配に思うのだ。 すべてを一人で抱え込んでいるような気がして。 幼さゆえにその思いがつい空回りして、やりすぎてしまうこともしばしばだったが、それでも鬼太郎が笑ってくれたら満足だった。 そうした猫娘の気持ちに、ねずみ男はずいぶん前から気付いていた。 他者の心の機微などには、聡い男なのだ。 そして、互いに不器用な方法でしか想いを表現できない猫娘や鬼太郎を、じれったく思っていた。 恋愛に関しては直球勝負でおいしいところは逃さないねずみ男としては、二人の我慢強さは信じがたいものだった。 だから時々、つい子供じみたような挑発をしたり、皮肉をぶつけたりしてしまうのだ。 「ああ、まったくバカな女だよ…。」 そう言って窓から外を眺めた。 まだ強い風が吹き荒れていたが、空が明るく雨は小降りになっていた。 「たいこもちは、おれ様ひとりで十分なんだよ。」 自分に言い聞かせるように小さく呟くと、ゆっくり立ち上がった。 「さてと、おれ様の役目も終わったようだし、食うもん食ったし、そろそろ行くとするか。」 「え? ちょっと、まだ雨降ってるよ。もう少し待ってなよ。お茶淹れるからさ。」 いくら宿敵ねずみ男でも、まだ嵐の抜け切らぬうちに外に出すのは気の毒で、猫娘は引きとめた。 「なあに、もうじきに上がるさ。だいたい、これっくらいの小雨で篭ってちゃあ、妖怪なんてやってらんねぇぜ。」 そして莚を上げて外の様子を確かめると、 「おっ、丁度いい稼ぎ時になったぜ。」 と呟き含み笑いをする。 「稼ぎ時?」 猫娘が首を傾げて不審そうに言うと、にんまり顔で振り返った。 「おうよ。嵐明けの直前に街中に出るとよ、風にぶっ飛ばされていろんなモンが落っこちてんのよ。中には結構いいモンがあってね〜。」 にっしっしっしと、下卑た笑いを浮かべる。 「雨がすっかり上がって人が出てくる前が、一番の稼ぎ時ってわけよ。ほんじゃーな。鬼太郎のことは頼んだぜ!」 言うが早いか、莚を払って裸足のまま出て行ってしまった。 「あっ、ちょっと…。」 猫娘が立ち上がって戸口から外を見ると、もうねずみ男の後姿は森の道に消えるところだった。 「まったく…、こういうときだけは行動早いんだから。」 呟いて振り向くと、鬼太郎はまだ微かな寝息を立てて眠っている。 「鬼太郎のこと頼むったって…。」 ねずみ男の残した台詞を繰り返すと、猫娘は頬をほんのりと染めた。 誰かに頼みにされるのは、世話焼きな猫娘にとってとても嬉しいことなのだ。 しかも、鬼太郎を頼まれるとは…。 そこで、猫娘ははたと考え込んだ。 (「頼む」ってことは、それまでは自分が鬼太郎のことを見ていた…とか、見るつもりでいたってこと?) そう考え出すと、今日のねずみ男の言動のひとつひとつが意味を持って繋がってきた。 そもそも、どうしてタイミングよく嵐の前に鬼太郎を訪ねたのか。 雨風を凌ぐために親友を頼ってきたというのも尤もらしいが、わざわざゲゲゲの森まで来なくても、ねずみ男なら嵐が去るまでの数時間くらい、一人でなんとか凌げそうだ。 それに、猫娘の、嵐の中で鬼太郎を一人にしたくないという思いをあんなにあっさりと言い当てたのも、ねずみ男自身が同じ思いを持っていたからではないのか。 そして微かに聞こえた「たいこもちはおれ様一人で十分」という言葉。 あれは、自分は鬼太郎を笑わせるためにいるのだと自認しているようなものだ。 (ねずみ男も、あたしと同じ気持ちだったのかな…) 「まさか、ね。」 声に出して、猫娘はその考えを打ち消すことにした。 ねずみ男もきっと、そうして欲しいに違いないと思う。 親友を案じて駆けつけて側にいたなんて、彼が自ら確立したイメージを損なうのだろうから。 「どっちがバカよ。ねぇ、鬼太郎。」 安らかな寝顔に語りかけたが、規則正しい寝息が返されるだけだった。 にびいろの柔らかな髪の隙間から、左目があるはずの場所に深い虚(うろ)が覗く。 その奥に、独りでどれほどの闇を抱えているのだろうかと、猫娘は思う。 せめて残された右目には、楽しいもの、幸せなものばかりを映して欲しい。 そのためなら、たいこもちだってピエロだって、女扱いされなくたって構わない。 戸口から外を見れば、いつしか嵐も去り、大急ぎで流れ行く灰色の雲間に見え隠れする空は、すでに茜色を帯びていた。 (もう大丈夫。よかった…。) 猫娘はもう一度鬼太郎の傍らに座ると、その安らかな寝顔を見て安堵した。 「あたしやねずみ男だけじゃない、みんな鬼太郎に笑ってて欲しいんだよ。いつも、いつまでも。」 そう呟いて、猫娘は鬼太郎の髪を撫でた。 おしまい
えーと、三十路以上の方ならばピンと来ると思いますが、このタイトル、さだまさしさんの「道化師のソネット」からいただきました。
君のその小さな腕に ね、猫娘の気持ちそのものみたいな歌でしょう。 |