贖罪


叫喚一声天地に轟き、戦いが果てた。
人間達を苦しめた妖怪は断末魔の叫びを残し、霧散した。

静けさを取り戻した森陰に、鬼太郎と仲間達の姿はあった。
しかし、激闘の末に勝利を制したとはいえ、なんとも後味が悪い。

このところ、鬼太郎が立ち向かう相手は、古来から人間達の側で生きてきた妖怪ではなく、この暗澹とした時代に新たに生まれ出でた凶悪で狡猾な悪鬼が多くなってきた。
今回の敵も、人間が廃棄したゴミが風化したものに人間の欲望や怨恨が巣食い、時を経て妖怪と化したものだった。
こうした生まれの妖怪は、執拗で性が悪く、しばしば苦戦を強いられる。
人間を騙して悪事を働き、戦いにおいては人間達を盾にして身を守ろうとする性悪な悪鬼を、鬼太郎たちはなんとか人里離れた山中に追い込み、やっとのことで倒した時にはもうすっかり夜も更けていた。

「ふう。なんとか片がついたようじゃのう、鬼太郎。」
砂かけが、乱れた着物の襟を直しながら言うと、児啼きも溜息混じりに呟いた。
「はへ〜、まったく最近の新参妖怪はしぶとくて、退治するのも一苦労じゃのぉ〜…。」
「あ〜あ、森もめちゃくちゃでごわすよ。あいつ、木ぃばなぎ倒すし、火ぃ吹くし、手当たり次第なんじゃもん…。」
「ぬり〜。」
「それにしても、人間たちは自ら生み出したものに襲われ、助けて欲しいとわしらを頼るんじゃから、全く勝手なもんじゃよ。」
目玉の親父は、最近の妖怪事件の原因の大部分が人間側にあることを憂えていた。

「だけど、今回も事を荒立てたのはねずみ男の仕業でしたから、仕方ないですよ。」
鬼太郎は、諦めたような微苦笑を浮かべながら言った。
「そうじゃ! ねずみ男…おや? いつの間にかあやつの姿が見えんな。どさくさに紛れて逃げよったな。」
忌々しそうに砂かけが毒つく。と、目玉の親父がふと気付いてきょろきょろと見回した。
「そういえば、猫娘もおらんぞ? まさか、ねずみ男を追っていったのか?」
「いやぁ〜。つい今さっきまで、一緒におったぞい。」
みなが辺りを見回す中、背の高いぬりかべが少し離れた一点を差し示し、
「ぬり、ぬりぃ〜!」
と声を上げた。

一斉に示された方に目を遣ると、焼け焦げた倒木の傍らに蹲る猫娘の姿が見えた。
駆け寄ろうとする皆を制し、鬼太郎が様子を見に進み出る。
そうっと近づいて声を掛けようとしたとき、猫娘がなにやら一心に話し掛けているような様子に気付いた。
そのかすかな声と、小さな肩が震えている。
(泣いているのか…?)
鬼太郎は声を掛けるのを止めてしばしその場に佇み、様子を伺った。
そして、優れた聴力を駆使して猫娘の呟きを聞き取って大体の事情を察すると、一度皆のもとに戻った。

「悪いけど、みんな先に帰ってくれないか。猫娘はもう少しそっとしておいた方がよさそうだ。後はぼくに任せてほしい。」
「しかし、おぬし一人で大丈夫か? 一体猫娘はどうしたんじゃ?」
猫娘を心配して思わず進み出た砂かけばばあに、珍しく児啼きじじいがまあまあ、と諭しながら袖を引いた。
「ここはひとつ、鬼太郎に任せておくんじゃ。気を利かさんか、ばあさん。」
「し、しかし、怪我でもしておったら…。」
「大丈夫です。そうじゃなくて、少し…一人にしておいたほうがいいと思って…。」
「そうか…。ようわからんが、おぬしには考えがあるようじゃな…。ならば任せたぞ。」
砂かけは、まだ不安そうな顔で、遠くに見える猫娘から目を離さずに言った。

「さあ行くぞ、砂かけ。わしの息子を信頼せい。」
目玉の親父と児啼きじじいに促され、砂かけ婆が一反木綿に乗ると、一同は飛び立っていった。
同時にぬりかべが地中にもぐり、森は再びしじまに沈んだ。

一反木綿の白く長い体が闇に滲むまで見送ると、鬼太郎は猫娘を振り返った。
これまでのやりとりに気付いた様子はなく、相変わらず蹲ってなにかに話し掛けている。
鬼太郎は、今度ははっきりと足音を立てながら、猫娘に近づいた。

足音に気付いた猫娘はハッとして、振り向かないまま慌てて顔を手で擦った。
泣いているのを気付かれないように、涙を拭ったのだ。
すぐ傍で足を止めた鬼太郎に、顔を向けず無理に明るい声を出した。
「あ、ご、ごめん、もう帰るんだよね…。あのね、今、この子達のお墓、作ってあげてたんだよ。たまたま、見つけちゃったもんだから…。」
そう言う猫娘の足元を見ると、お気に入りの白いハンカチの上に横たえた二羽の鳥。山鳩のつがいだろうか。
どちらもひどく焼け爛れ、寄り添うようにして息絶えていた。

「猫娘…。」
名を呼んだきり、鬼太郎は言葉を失った。


先ほど、鬼太郎がこっそりと聞き取った猫娘の呟きは、この小さな鳥達への謝罪の言葉だったのだ。

    「ごめん…ごめんね…。
     痛かったよね、熱かったよね…。
     守ってあげられなくて、ごめんね…。
     あなたたちの森を壊して、ごめんね…。
     なんにも、悪いことしてないのにね…。
     犠牲にしていい命なんて、一つも無いはずなのにね…。」


涙声で、何度もごめんと繰り返していた。
それを鬼太郎が聞いていたとも知らずに。
なのに今はその涙を隠し、何事もなかったように振舞う。
「すぐ終るから、もう少し待ってて。この鳥さんたち、生まれ育った森の土に還ればまたこの森で生きられるもんね。」
わざと明るく、空元気を出して話すのは、鬼太郎を心配させないためだった。

こんなことくらいで悲しんでいては、鬼太郎の目指す大儀の実現に水を差してしまう。
大事の中に小事なし、なんて言葉は好きではないが、鬼太郎には迷わずに大きな夢を追って欲しい。
ひとたび戦いが起これば、そこに息づくおびただしい数の命が犠牲になることは自明のことだ。
山鳩の命にまで心を痛めていては、先に進むことなど出来ない。
だから、こういうことは自分の中だけで完結させて、鬼太郎には欠片ほども心配をかけたくないのだ。
猫娘は、そう思い極めていた。

鬼太郎には、そんな猫娘の気持ちが痛いほどにわかった。
自分だって、できれば戦いなどしたくはない。
とくに罪無きものが犠牲になるのは耐え難い苦痛だ。
そうした犠牲があることに気付かないわけではない。
目を背け、耳を塞ぐつもりも毛頭ない。
失われる妖怪・人間・動植物すべての命を自ら背負って、平和な時代を、妖怪も人間も他のすべての生き物も互いを尊重し生きられる世の中を実現する覚悟だ。
だけど、この小さな少女にまで重い荷を背負わせていることに、気付かなかった。気付けなかった。

鬼太郎が声もなく立ち尽くしていると、山鳩の亡骸に土を被せ、手を合わせた猫娘が振り返った。
精一杯の笑顔。
しかし、泣き腫らした目は誤魔化しようがなかった。

「お待たせ。みんなはどこ? あたし、すっかり夢中になっちゃって…、もしかして、ずいぶん待たせちゃった?」
仲間達の姿を探しながら立ち上がる。
「みんなは…、先に帰ったよ。ぼくだけ待ってたんだ。」
できるだけなんでもない風を装って、鬼太郎は答える。
それが、猫娘の笑顔に報いる一番の方法だと思った。

「えー! ちっとも気が付かなかった! 声かけてくれればいいのにぃ。」
「今日はみんなもずいぶん疲れたみたいだったから、先に帰ってもらったんだよ。ぼくはもう少し、この森の後始末をしたかったから残ったんだ。それだけだよ。」
その言葉を聞いて少し安心したのか、猫娘は僅かに本当の笑みを漂わせた。
「そっか。じゃあ、あたしも手伝うね。何をすればいい?」
「いや、あの悪鬼の残滓が少しでもあるとやっかいだからね、もう一度調べるだけさ。」
そう言うと目を伏せて妖気を集中させ、辺りのあらゆる気を探り始めた。
しばらくすると何かを感じ取ったのか、突然目を開いて先ほど猫娘が蹲っていた傍らの倒木に歩み寄り、がさがさと焦げた梢を掻き分けた。

鬼太郎が見つけ出したものは、先ほどの山鳩のものらしき鳥の巣の中の、一つの卵。
親鳥が身を挺して守ったのであろう、悪鬼の放った炎も受けず、それは安らかに巣の中にあった。
「鬼太郎…! それ、卵? あの山鳩さんの? 生きてるの…?」
不安そうに覗き込む猫娘に、まだわからないと告げると、鬼太郎は壊れやすい宝物に触れるようにそっと卵を拾い上げた。
両手のひらに乗せ、卵の中に命の息吹を感じ取ろうと意識を集中する。
生きていてくれ、そう願いながら。

その鬼太郎の手を、柔らかいものが包んだ。
柔らかな、猫娘の手。
しかしその爪は、山鳩の亡骸を埋める穴を掘ったために痛々しくひび割れ、指先には血が滲んでいた。

鬼太郎よりももっと必死に、お願い、生きていて、と指先から妖気を送ってくる。
妖怪が妖気を送ったところで、鳥の命を左右できるものでもないのだが、何かしないではいられないのだろう。

やがて、二人の手に包まれた卵から、弱弱しくも温かな力が返されてきた。
鬼太郎はその息吹をはっきりと感じ取ると目を上げ、猫娘を見つめた。
それを感じ取る力のない猫娘は不安そうに見返す。

「大丈夫だ。元気だよ。」
力強く頷きながら鬼太郎が微笑んだそのとき、猫娘の大きな瞳が揺れ、一滴の涙が零れた。
「よかったぁ…。」
猫娘は、鬼太郎の手ごと卵を引き寄せると、愛しそうに頬擦りをした。
鬼太郎は思わぬ役得に嬉しいような照れくさいような気持ちで、口元が自然に緩んだ。

「かわいいなぁ。あの山鳩さんが守ったんだね。これ、あたしが責任を持って育てるんだ。」
頬擦りをしながら、猫らしからぬことを言う。
「いや、ぼくに育てさせてよ。ぼくのせいでこの子は親を亡くしたんだから。せめてもの罪滅ぼしに…。」 そんなことくらいで、自分のために失われた多くの命への贖罪になるとは思わないけれど…。

鬼太郎の何気ない言葉に、猫娘の瞳が再び色を変え、今度は鋭い光を湛えた。
「鬼太郎、あたしは鬼太郎の仲間? それとも、ただの雑魚? おまけ?」
「え…? もちろん、仲間に決まってるじゃないか…。」
「同じ正義を信じて、一緒に戦っている仲間でしょう?」
「そう言ってるだろ。」
「だったら、その正義を貫くために犯した罪も、一緒に背負うのはあたりまえじゃない。あたしにも…、ううん、おばばにも児啼きにも一反木綿にもぬりかべにも、親父さんにだって贖罪の義務はあるのよ。」
「……。」
卵を間に挟みながらもすぐ鼻先まで詰め寄られ、鬼太郎は答えに窮した。

「鬼太郎は、妖怪退治の手柄も、未来にきっと実現する平和な世界も、全部独り占めする気?」
「な、何を言うんだよ、そんなことあるわけないだろう! みんながいるからこそ、ここまで来られたんだから。それはみんなで分け合うべきものだよ。」
この鬼太郎の答えに満足したように、猫娘は急ににっこりと微笑むと、
「それなら、罪も罰もみんなで分け合いましょ。だから、この卵、一緒に育てようね。」
有無を言わさぬ調子で結論付けてしまった。
こういう時の猫娘には、誰も敵わない。それこそ、閻魔様だって。

鬼太郎はクスクス笑い出すと、素直に降参した。
「まいったな。わかったよ。一緒に育てよう。」
「うん。うふふ。卵ちゃん、私がお母さんですよ〜。よろしくね。」
「じゃあ、ぼくはお父さんだ。」
「え? あ…そうか。やだぁ…。」
自分で言い出したくせに、出来上がった設定に照れて頬を染める。

「ね、鬼太郎。この子が巣立つ時には、一緒にこの森に返しに来ようね。」
そう呟く猫娘の横顔には、母親の風格すら感じる。
「そうだね。一緒に。」
鬼太郎は短く答えた。

自分の背負う業のすべてを、だれかと分け合えるわけではない。
自分も仲間達も、戦う時にはみな一人きり、自らの宿命と向き合っているのだ。
それでもなお、喜びだけでなく、悲しみも苦しみも、罪や罰さえも分け合いたいと言う少女がいる。
このあどけない少女の体に、魂に、どうしてこれほどの強さを持っているのか、鬼太郎は心から不思議に思う。

鬼太郎は手のひらで包んでいた卵を、猫娘の手に預けた。
贖罪の証、希望の卵。

大切なものは、いつでも猫娘に持っていてほしいのだ。
鬼太郎自身の希望の光でもある、この少女に。

そしてふたりは、山鳩の墓にもう一度手を合わせ、生き残ったこの命を守り抜き、必ずこの森に返すことを誓った。

おしまい
2006.1.21


うわぁ、重い! タイトルからして重いっ! しかもいつも以上にくどくて読みにくっ!
生まれて初めて手にしたセル画に舞い上がり、そのシーンから思い描いた話を書いてみたらこんなことに;;;;;。
鬼太郎が手に持っているものは卵、という設定にしたら、こうするしかありませんでした(T_T)。
正義の味方は正義のために戦ってるんだけれど、正義というものが独善である以上、同時に罪をも負ってるわけです。鬼太郎の贖罪の話はいつか書きたいと思っていたけれど、卵エピソードにむりやりくっつけたため、ややこしくなりました。
…それにしても、うちの鬼太郎たち、揃いも揃って説教好きだな…(^_^;;