千の言の葉


小春日和の穏やかな午後、鬼太郎は、気に入りの場所の一つである一望里の草原に寝転がっていた。
春には紫万紅に花が咲き乱れるこの地も、木枯らしが吹き抜ける今は一面の枯野だ。
空をゆったりと流れる切れ雲をぼんやり見つめたまま、秋の空のように気紛れな少女のことを思っている。

奇怪万な事件にも臆さず立ち向かい、一騎当の戦いぶりで海の妖怪や人間を懲らしめる、心身ともに強靭な鬼太郎だが、たった一人の少女のために、いつもその心は千々に乱れる。

「伝えるべきか、秘すべきか。それが問題だ。」
と、先日読んだイギリス人劇作家が書いた悲劇の、ハム…とかなんとかいう主人公を気取って呟いてみた。

悩ましきは身を焦がすこの想い。
相手の気持ちはわかっている。
自分を慕ってくれていて、その気持ちを真っ直ぐに向けながら、返事を一日秋の思いで待っているのだ。
いや、正確には、待っているわけではないのかもしれない。
もしもこちらが何らかの反応を見せればそれに応じるし、なにも動かなければそれはそれでいいと思っているのだろう。

少女への想いは、万無量。
けれども、言万語を尽くしても表しきれないこの想いは、そう易々とは伝えられない。
「好きだ」というのは造作もないことだが、そんな言葉で簡単に表してしまっては、自分の気がすまない。
だからと言って、いきなり実力行使に出るのも気が引ける。

だいたい、どういう行動ならば自分の想いを正しく伝えられるかもわからない。
焦って無理に気持ちを押し付けてしまえば、下手をすると少女の頬を筋の涙で濡らす事態にもなりかねない。
それほど、自分の想いは強く激しいのだ。
たとえ三世界のすべてを敵に回そうとも、少女を想う気持ちが揺らぐことはない。
けれど、その強すぎる想いのために、誰よりも守りたい存在を自ら傷つけるようなことになったら、それこそ悔の至りだ。

問題は、少女の気持ちがどの程度のものなのか、掴み切れないことだ。
以前、心の弱みに付け込む異国の妖怪ラクシャサに魅入られた時、少女は鬼太郎に「あたしのこと、もっと好きになってよ」と言った。
しかし、それがどういうことなのかがわからない。
大人の体を得たというのに、それで何を求めるでなく、ただ鬼太郎を縛り上げて「もっと好きになって」と迫った。
大人の女性になれば鬼太郎の気を引けると、ただそれだけを願ってのことなのだろうか。

多分そうなのだろう。
彼女はきっと、大人の恋愛がどのようなものか、本当にはわかっていないのだ。
喫茶店でデートして、コーヒーを飲んで、ケーキはお預け。
そんなかわいい恋愛を夢見ているに過ぎず、それ以上の何も望んではいないのだろう。

だとしたら、自分の知っている「大人の恋愛」を押し付ければ、やはり彼女を深く傷けることは避けられない。
かと言って、「もっと好きになって」という彼女のいじらしい願いを適えることは不可能だ。
なぜなら、この想いは果てなく、これ以上に深くなりようがないのだから。

彼女があんな妖怪に魅入られてしまったのは、その鬼太郎の想いを知らず、不安に揺れていたからだろう。
それならやはり、伝えるべきなのか…。
でも、どうやって…。

思慮深くはあっても、くよくよと思い悩む性質(たち)ではない行動派の鬼太郎にとって、こんな風に悶々と考え込むのは性にあわない。
しかも、そうさせているのが、身近にいる一人のか弱い少女だというのだから笑止万だ。
そんな自分が滑稽で、思わず嘲笑を漏らした時、かさかさと枯草を踏み、近づく足音に気がついた。
足音の主はわかっている。この果てなき懊悩の原因である少女だ。
高鳴る鼓動を抑え、気付かぬ振りをしていると、ひょいと横から大きな瞳が覗き込んだ。

「あ、なーんだ、起きてたのか。」
無邪気な笑顔を見たら、それまでの思考がすべてふっとび、たちまち温かい感情が胸を満たした。
「猫娘。よくここがわかったね。」
鬼太郎も晴れやかな笑顔を返す。
「こんなお天気の日に一人で行くとしたら、ここかなーって思ったのよ。当たってて良かった。」
嬉しそうに微笑んだかと思うと、今度は真顔になって口調を改めた。
「でもね、もう夕方よ。黙ってふらりと出たきり、ちっとも帰ってこないから、親父さんたち、心配してるよ。」
「あっ…、もうこんな時間だったのか…。少しも気がつかなかった。」
見ればさっきまで浮いていた切れ雲の姿はなく、西に傾いた日が辺りを黄金に染めていた。
日が沈む辺りには、重に連なる山の陰がくっきりと浮かんでいる。

春の宵を値金と言った中国の文学者がいたが、秋の夕暮れもそれに劣らぬ趣がある。
この景色を背にして帰るのはもったいない気がして、鬼太郎は帰りを促す猫娘の手を取って引き寄せた。
「もう少し、こうして居ようよ。あの夕日が沈むまで、一緒に見ていたいんだ。」

鬼太郎の言葉に、猫娘は小さく頷いて、遠慮がちに隣に腰を降ろした。
その顔が耳まで赤く染まっているのが、夕焼けの中でもはっきりわかる。
(そうか、こんなことでも想いは伝わるんだ。)
鬼太郎は、今更ながら当たり前のことに気付き、埒もない懊悩に溺れていた己の愚かさに思わず苦笑した。

歳(ちとせ)を生きる妖怪の身には、時間はいくらでもある。
急いて行動を起こす必要はない。
変万化の世の中で、この想いだけは古不変だと言い切る自信はあるのだから。
むしろ今、感情に任せて軽率に出て、大切なものを傷つけ、永遠に失ってしまうことの方が怖い。
そうなれば、その後に続く恒久の時は、尋の谷底で独り生きるに等しい孤独と辛苦に満ちるだろう。

隣を見れば、まっすぐに夕日を見つめる猫娘の横顔。
その額を覆う筋の髪が風に揺れ、見惚れるほどに綺麗だと、鬼太郎は思った。
一人のときにはあんなに苦悶していたのに、猫娘を前にした途端、事はすんなりと解決した。
一緒にいるだけで、こんなにも心が満ち足りる。
猫娘がいれば、妖怪と人間が仲良く暮らせる世の中も、それこそ異国の教徒が信じて待つ年王国でも、実現出来るかもしれないなどと、夢のようなことさえ考えてしまう。
やはり、この笑顔を曇らせるようなことはできない。したくない。

焦らなくていい。
夜一夜の物語りをして王を改心させたシェエラザードのように、ゆっくりと時間をかけて語ろう。
想いを乗せたの言の葉を紡いで、少しずつ伝えていけばいい。
春になったら、この野一杯に咲く花を集めて、束(ちづか)にして贈ろう。
の夜を共に語り明かし、そしていつか、一つになれたら…。

太陽が重の山の向こうに沈むと、鬼太郎は繋いだ手に力を込め、立ち上がった。
「さあ、一緒に帰ろう。」 急に立ち上がった鬼太郎を不思議そうに見上げていた猫娘も、やがてうんと頷いて後に続いた。

しっかりと手を繋ぎあって家路をたどる二人は今、里の恋路を歩み始めたばかりであった。

おしまい
2005.11.28


1000HIT達成を目前に、自分でお祝いして書いた、「千」をテーマにしたお話です。
おばかですね〜。ドアホですね〜。ようやりますね〜。救いようがないですね〜(^^;;;;;;。
でも、書いててとっても楽しかった! 勢いに乗って、本当に一晩で書いてしまいました;;。
まずは辞書を片手に「千」の付く言葉の中から、比較的平易でキタネコに合いそうなものを拾い上げ、
それを眺めながらストーリーをイメージして、一つ一つ当てはめながら書いていきました。
にしても、普通ありえないような硬い文章だし、無理やり入れてる単語もたくさ〜ん…。
「千年王国」なんて、かなり無理やり感が…。だって、水木ファンとしてこれは外せないなーと思ったんだもの;;;
まあ、企画モノだから、それも愛嬌ということで、大目に見てやってくださりませ〜m(_ _)m