融合 ゲゲゲの森のほど近く、土地の神を奉った霊山の頂きに、大きな一枚岩がある。 そこが、二人の待ち合わせ場所だった。 星もない闇夜の中、猫娘はひとり、息を弾ませながら山道を登っていた。 「まったくぅ。行く道は同じなんだから一緒に行けばいいのに、わざわざ現地集合なんて…。」 冬の最中でも息が上がり汗ばむほどの険しい山なのに、ひとりで歩く道は尚更遠く感じる。 鬼太郎と一緒だったら、楽しい道行きになるに違いないのに。 「ううん、これも修行の一環だもん! がんばらなきゃ!」 そう思い直して、踏み出す足に力を込めた。 美しい月夜に、生まれたままの姿で妖気を放っていた猫娘を鬼太郎が見つけ、妖気を鍛える手伝いをすると申し出た日から一月余りの時が経っていた。 そして今日の昼間、猫娘が鬼太郎の家を訪ねた時に、目玉の親父の目を盗んで鬼太郎が耳打ちした。 「例の妖気を高める訓練をしよう。今夜、一枚岩の霊山の頂きに来てくれ。」 目玉の親父に隠したのは、妖力を操る力のない猫娘にそんな訓練は危険だと咎められるに違いないからだ、と鬼太郎は言った。 だから、猫娘もアパートのみんなに知られないように、こっそりと抜け出してきた。 猫娘が頂きに着いた時、一枚岩の上にはすでに鬼太郎の姿があった。 傍に寄らなくてもわかる。その妖気は大きく放たれ、辺りの空気を震撼させていた。 「鬼太郎…、お待たせ。」 強い妖気に圧倒されながらも、猫娘はそっと声をかけた。 「やあ、大丈夫。ぼくのほうが待ちきれなくて、早く来ちゃったんだ。」 鬼太郎の笑顔はいつもどおりの暢気なもので、猫娘は安堵した。 「すごい妖気だね。ずいぶん遠くから感じたよ。」 「そうか…。これでも控えめにしてるんだけどな。まあ、だから妖怪の近づきにくい霊山の頂きにしたんだよ。余計な奴らに妖気を嗅ぎ付けられたら面倒だからね。」 そんな気遣いに猫娘は感心しながら、先日の自分の行動がいかに軽率だったかを思い知った。 妖怪が多く集まるゲゲゲの森の一角で、あんなに無防備に妖気を放っては、どんな妖怪や悪霊を吸い寄せるかわからないのだ。 つくづく、最初に気付いて来てくれたのが鬼太郎でよかったと思う。 到着したばかりの猫娘の息が整うのを待って、鬼太郎は一枚岩の上に胡座をかいた姿勢のまま、声を掛けた。 「さて、気が静まったら、そろそろはじめようか。」 「はい! あ…あの、お願いします。」 敬慕の念に浸りつつ鬼太郎を眺めていた猫娘は、急に我に返り、思わず改まった口調でお辞儀をした。 猫娘にとって、鬼太郎は幼馴染で遠慮のない仲だが、こうして自分との力の差をまざまざと見せ付けられ、且つ二人きりで真剣に教えを請うという状況になると、なんだか遠い存在のように感じてしまう。 そもそも鬼太郎は、猫娘のような実力も名もない若輩妖怪が近くにいられるのが不思議なくらいに偉大な妖怪なのだ。 その秘める妖力は底知れず、名声は妖怪仲間だけでなく天界や地獄にも知れ渡っている。 普段の様子からはそんな気配は微塵も感じさせないから、つい忘れているが、改めて意識した以上、緊張は隠せなかった。 「どうしたんだよ、急に改まったりして。おかしなやつだなぁ。」 猫娘のそんな気持ちにはまるで気付かないのか、鬼太郎は笑いながら言う。 「さあ、はじめるよ。ここに座って。」 「え…!」 猫娘は目を丸くして立ち竦んだ。 鬼太郎が座るように指し示したのは、胡座をかいたその膝の上なのだ。 ただでさえ緊張しているというのに、そんなところに無遠慮に座れるわけがない。 なにより、鬼太郎とそんなにくっつくなんて、恥ずかしくて仕方がない。 いつまでも突っ立って逡巡している猫娘を見て、鬼太郎が再び笑いかけた。 「遠慮することはないさ。お互いの気を合わせるには、出来る限り体を添わせた方がいいんだ。胡座の上に座ってもらうのが、一番やりやすいんだよ。」 「う…うん…。」 まだ困り果てた様子で立ち尽くしている猫娘の手を取ると、鬼太郎は強く引き寄せ、自分の膝の上に座らせてしまった。 「やっ…、ちょっと、きたろ…。」 「猫娘、何も言わないで。何も考えないで…。体の力を抜いて、心を無にするんだ…。」 真っ赤になって抵抗しようとした猫娘の言葉を遮って、鬼太郎の静かな声が掛かった。 その真剣な表情に、猫娘は恥ずかしがっている場合ではないことを理解した。 鬼太郎は、本気で自分の妖気を鍛えようとしてくれているのだ。 些細な羞恥心など捨てて、鬼太郎の誠意に応えなくては…。 猫娘は、素直に鬼太郎に体を預けた。 頭を真っ白に、心を無にする。 ここまでは、先月一人で訓練したときにも成功しているから、比較的容易に出来た。 無となった世界に、自分の内なる力、すなわち妖気を感じる。 それをただぼんやりと感じていた。 すると、後ろから抱くようにして猫娘の手を包んでいた鬼太郎の手から、強く温かい力が流れ込んできた。 その力につられて、内なる力が引き出されてくる。 先日一人で試みた時には、月の光のエネルギーが入り込み、妖気を引き出してくれた。 今回は鬼太郎の妖気がそれをしてくれるのだと、漠然と感じていた。 猫娘の妖気は引き出されてどんどん膨らむ。 そして、それぞれ違う色の光を帯びる二つの気が溶け合い、一つになる。 よく知っている鬼太郎の妖気が自分の中を侵し、包み込み、やがて混ざり合っていく感覚は快楽にも似ていたが、猫娘はそれを何の感慨もなくただ素直に受け入れ、身を任せていた。 〔そう。その調子だよ、猫娘。ただ感じるままにしていればいい。ぼくにすべてを任せて…。〕 心の中に鬼太郎の声が響く。 それすらも感覚的にしか受け取らず、猫娘は無の境地を漂っていた。 やがて十分に猫娘の妖気を引き出すと、今度はそれを外界に放つべく、鬼太郎は猫娘の心に呼びかけた。 〔このまま、ぼくと心を合わせて。なにがあっても、なにを感じても、決してぼくから離れないで…。〕 そして猫娘の妖気を抱いたまま、自らの妖気を一息に放った。 限界まで高められ、研ぎ澄まされた妖気は精神と一体化し、触れたものがそのまま心に響く。 鬼太郎は、妖気を意図的に放ち、辺りの気を普く探ることに慣れている。 しかし、初めてそれを経験する猫娘は、その衝撃の大きさに、瞬間、恐怖を感じてしまった。 「嫌だっ!」 小さく叫んだと同時に、無であった心に徐々に感情が戻る。 混ざり合っていた妖気が解けはじめる。 鬼太郎から離れた猫娘の妖気は支えを失い、再び猫娘の身体の内へと戻ってしまった。 「…ごめん、あたし…、怖くて…。」 普段どおりに戻った猫娘は、申し訳なさそうに頭を垂れた。 「いや、最初にしては上出来だよ。ぼくの妖気とシンクロさせるまではスムースに行ったんだもの。むしろそっちの方が難しいくらいなのに。」 鬼太郎は、猫娘を膝の上に抱いたまま、優しく労った。 気付けば、初めは緊張と羞恥に強張り、ぎこちなかった身体も、今はすっぽりと鬼太郎の懐に納まっている。 もとから一つだったような、戻るべき鞘に収まったような、そんな不思議な安心感。 離れてしまうのはもったいないとでもいうように、二人はそのままの姿勢で束の間談笑した。 少しの休憩の後、再び鬼太郎に促され、二つの妖気は同調をはじめた。 一度成功しているので、すぐに妖気は一つになる。 肌が、指先が、髪の毛が、呼吸が、鼓動さえもがぴったりと重なり合い、魂が溶け合う。 ある程度妖気を引き出すと、鬼太郎は今度は慎重に、それを放出し始めた。 〔大丈夫。ぼくを信じて。ぼくを感じて…〕 心に念ずる想いは、直に猫娘の心に届いた。 そして妖気は、ゆっくり放たれる。 先ずは一枚岩を貫き、地へ。 〔猫娘…、感じるかい、地虫たちの蠢きを。 氷の下で春待つ土の匂いを。 草の根が水を吸い上げる音を。 地脈に流れる温かい生命(いのち)のうねりを。 忘れ去られた亡者どものうめきを。 名も無き小さな屍が土へと還りゆく様を。 生まれいずる生命の産声を、朽ちてゆく生命の最後の祈りを。 許多の生命がここから生まれ、ここに帰す。 その営みを、感じるかい…。〕 〔鬼太郎…。 わかるよ…、感じるよ。 鬼太郎の感じるままに、同じように、感じるよ。 鬼太郎の耳で、目で、鼻で、肌で、心で、あたしいま、感じてるよ…。〕 〔いや…、それはきみの耳、目、鼻、肌、心。 きみの妖気…魂が自ら感じていることなんだ。〕 猫娘が完全に自分とシンクロし、自分と同じものを感じ取っていることがわかると、鬼太郎は次の段階に進めていった。 〔今度は、一緒に昇って行こう。 大丈夫。怖くないから…。〕 妖気は、一度二人の身体に収斂したかと思うと、天に向かって大きく放たれた。 地に向かったときにはじわじわと滲むように進んだが、今度は風のようにぐんぐんと空高く突き進む。 やがて、厚く垂れ込めていた雲にぶつかった。 質量を持たぬ妖気には、直接雨や風が当たるわけではないが、二人は激しい気流を、冷たい雨粒を、同時に感じた。 その雲さえも貫き、鬼太郎は妖気を雲上に引き上げた。 途端、広がる静かな夜空。 無数の星と、眩しいほどの望月。 ああ、今日は満月だったのだ。 あれから、ちょうど一月が経ったということだ。 一月前、ゲゲゲの森の東端にある桜の老木に二人で並んで座り、見上げた時と同じようで、少し違う満月。 その清冽な光を感じながら、猫娘はそんなことを漠然と思い浮かべていた。 ただ、それに対するなんという感慨も生まれない。 感情を持つだけの余裕がないのだ。 猫娘はもともと強い精神力の持ち主だが、今まで意識化に眠っていた妖気を引き出され、それを支えるのに精一杯だった。 今、猫娘は鬼太郎によって、普段は表面に出てこない秘められた妖気を引き出されている。 人間も、ほとんどの人は自らの持つ能力のほんの一部しか使っておらず、知覚されない秘められた能力があると言われるが、妖怪も同じことで、本来持っている妖力のすべてを使いこなしている妖怪は少ない。 それでも日常を送るには差し障りないので、ほとんどの妖怪は苦労して妖気を磨くことなんてしないのだ。 ただ、野心や向上心のある妖怪は自らの妖気を鍛え上げ、より高度な妖術を習得したり逆に妖術への耐性をつけたり、妖気を分離して仲間を増やそうとしたり、若さを保ったり、あらゆることに利用する。 強い妖気を自在に使いこなせば、妖力も上がるというわけだ。 しかしそれも、強大な妖気を操り制御するだけの精神力がなくてはできない。 それは一朝一夕に出来ることでなく、精神をも鍛錬しながら時間をかけて妖力を上げていく。 もちろん鬼太郎はそれを心得ており、今の猫娘の精神が耐えられる程度を推し量り、引き出す妖気を加減していた。 予想以上に猫娘の精神力は強く、地中で鬼太郎が心に語りかけた時には、それに応える余裕すらあった。 鬼太郎は再び、語りかけてみた。 〔猫娘、この月影を、星明りを感じてよ。 これを、きみに見せたかったんだ。 一緒に感じたかったんだ…。〕 しかし、答えはなかった。 地中に下りたときよりも、遥かに遠く、勢い良く妖気を飛ばしすぎたのだ。 鬼太郎には月夜を美しいと思う心の余裕があっても、猫娘は意識を保つだけでいっぱいいっぱいだった。 (ちぇ…。せっかく、こうして一つに融けて、こんな高みに昇ってきたのに…。) 心密かに待ち望んでいた、妖気の融合、魂の同調。 その悦楽を、鬼太郎は一人で噛み締めていた。 今日を選んだのは、先月、同調に失敗して二人で並んで見た満月を、今度は全く同じ心で見たかったから。 その感動を猫娘と分け合いたい、そう思っていた。 しかし実際には、猫娘は悦楽どころか地中の生命の息吹や月夜の美しさに感動する余裕すらなかった。 それだけの余裕を持つまでには、時間をかけて精神をも鍛えていかなければならない。 初めて体験する強い妖気の放出に耐えているだけでも予想外の大健闘なのだから、今日はそこで終わりにすればよかったのだ。 しかしここで、鬼太郎はつい、欲を出した。 自分の妖気を少し強めて補えば、猫娘の精神に少しの余裕が出来て、感情を呼び起こすことが出来るんじゃないか、そう思って妖気を強めた。 ところがその途端、完全にシンクロしていた猫娘の妖気がつられて強まり、それを支えて限界まで張り詰めていた精神の糸が切れた。 猫娘は意識を失ってしまったのだ。 (しまった!) 鬼太郎は慌てて妖気を収斂し、慎重に融合を解く。 ここで無理をしては、猫娘の精神が戻らなくなる虞もあるのだ。 一つになっていた妖気がふたつに戻ると、気を失っている猫娘を揺すり、名を呼んだ。 「ん…うーん…。」 薄く目を開けて鬼太郎を見つめる目の光がいつもどおりであることを見て取ると、鬼太郎は安堵の溜息をついた。 「猫娘! よかった…。」 「鬼太郎…。あたし、今、あの雲の上にいた…?」 「うん。初めてなのに、無理をさせすぎたね…。ごめん。」 配慮の足りぬ行為に慙愧して、鬼太郎は深く頭を下げた。 「やだ、鬼太郎。謝ることないよ。あたし、すごーくいい気分だったよ。体中に力が満ち溢れて、普段は感じ取れない色んな音や光や臭いや気を感じたんだもん。あの厚い雲の上に満月があるってこともわかったし、とっても面白かった!」 「え…、面白かった?」 「うん! 鬼太郎って、よく妖気で色々探るじゃない。いつもあんなこと感じてるんだねー。すごいなぁ…。」 目を輝かせて夢中で話す。 その無邪気な反応にはいささか拍子抜けしたが、面白いと思えるだけの余裕があることには感心した。 まあ、あの時には確かに反応がなかったから、今思い返せば面白かったという意味なのだろうが、そういう前向きさがあれば、今後かなり伸びていくだろう。 「ね、あたしでも、いっぱい練習すれば、一人でこんな風に色々感じることが出来るようになる?」 「もちろんさ。感じるだけじゃなくて、ちゃんと感動したり、考えたりも出来るようになる。そうすれば、相手の気の善悪を判断したり、幻術に惑わされずに真の姿を見抜いたりできるようになる。きみの身を守るためにも役立つよ。」 「うわぁ! そうかぁ。そうしたら、鬼太郎に迷惑かけないですむもんねー。」 いじらしい猫娘の言葉に、心がじんわり温まる。 迷惑だなんて思ったことはないが、猫娘に護身術を身につけさせることは、これからずっと自分の近くにいてもらうためにも必要だと、鬼太郎は思っていた。 大切な人を守るために、焦らずゆっくり、練習を重ねて行こう、と。 それにしても…。 誰も寄せ付けぬ霊山で二人きりの秘密の特訓、心をひとつに融け合わせ、雲を突き抜けて眺める満月…。 鬼太郎としては、考え付く限りロマンチックな演出をしたつもりだったのだが、結局は猫娘の好奇心をくすぐる程度のものでしかなかったようだ。 もっとも、厳粛たるべき鍛錬の場に、あわよくばいい雰囲気に…などという下心を持ち込むほうが間違っているのだが。 邪な思惑は完全に外れた。 とかく、女心はつかみにくい。 おしまい
1000HITを踏んでくださった「鬼猫代」の宮川チョロタ様よりキリ番リクエストを頂いて書いたものです。 |